『大和朝廷を震撼させた蝦夷・アテルイの戦い』つづき

 本書の著者・久慈力さんは,もちろん私は面識ないが,実は私が過去にルポを書かせてもらった某週刊誌の準レギュラー執筆者であった。最近見かけないけれど東北ローカル・岩手の抱える問題をいくつか報告されたりと,その姿勢や精力的な記事は私にとっても大いに参考になり,私自身が目標としているライターのひとりだったりするのである。関係ないかもしれないが,北上の従姉妹の連れ合いが「久慈姓」なのだ。連れ合いさんは久慈市出身。もしかしたら私と久慈さんとは遠い親せきにある悪寒(笑。

 それはそうと,数あるアテルイ関連の文献の中から久慈さんの著作を選んだわけは,目標にしている久慈さんの著した本なら文句ないということ。だからすんなり購入したものの……中身はおととい書いたように私のごときでは処理しきれない…。「人は一冊の本を作るために,図書館半分をひっくり返す」と言ったのはイギリスの詩人・サミュエル・ジョンソン。本書は図書館半分とまではさすがにいくまいが,本書の背後には100冊をゆうに超す文献が積み上げられているのではあるまいか。私などではまず,書けない。資料・史料の発掘・裏づけ作業には気の遠くなるような手間暇がかかったにちがいない。まったくもっておそろしい本である。

 本書で久慈さんが述べていること。

 たしかに日本列島を支配してきた天皇家と公家勢力と豪族勢力は,陸と海のシルクロード通ってきたユダヤ支配勢力,あるいはメソポタミア支配勢力の集合体ということはありうるだろう。本書ではそのことを概略的ではあるが,本文や地図などによって,はじめて「日猶同祖論」触れてとまどいを感じる人々にもわかりやすく証明する努力をした。

 久慈さんの努力も私にとってはまだ足りなかった…といっては怒られるかもしれない。理解すべき努力を,読者の側にだって求められることもあろうから。でないとわが郷里の遠い祖先・蝦夷に対し顔向けできないから。久慈さんがせっかく「わかりやすく証明する努力をした」のであるなら,私だって少々のことでへこたれてたら祖先に叱られるだろう。

 したがって今後も郷土史についていっそうの努力をつづけていきたいと思う。はるかなる蝦夷,大いなる祖先の地・わが郷里秋田の自然と文化を守るためにも。

 ではつづきといくが,まだ蝦夷関係には駆け出しにすぎない私が久慈さんの本をあれこれ批評するのはいくらなんでもおこがましいので,ちょっと疑問に思った些事をみっつほど触れておくだけにしよう。

 まずひとつ。本書180ページに「部落はエミシの強制収容所が起源」との見出しで,こう書かれている。

 …「東北」に部落が少ないのは,「蝦夷征伐」によって,東北全体が「部落」のような存在になったからであり,むしろ,東北は部落民の供給地であった。

 ここでいう「部落」とは被差別部落・未解放部落のことで,同和地区ともいうが,東北で一般に集落・地区を指す「部落」とはまったく異なるものだ。なんで久慈さんは普通に「部落」と書くのだろうと思った。いや普通に書いてもいいのだが,これを同和地区の意味で書くのはちょっとおかしい。本書はアテルイの文字が表紙に大きく躍っているように,東北岩手を照準にすえて書かれたものと思われる。岩手など東北で「部落」と言えば,ただの集落・地区を意味する。まさか「部落」という言葉の背後に「被差別」の文字が控えていることを認識している読者は,すくなくとも土着の東北人にはごく少数にすぎまいに。

 だからここは,特別な説明や注釈を添えるまではしなくても,「いわゆる被差別部落」とか「同和地区」とか書くべきではなかっただろうか。久慈さん自身,岩手の沿岸の街で暮らしていたなら,部落なんて言葉は当たり前のように耳にしていただろうし,そこに差別的な意味合いが存在しないことはわかりきっているはず。岩手の読者が「『東北』に部落が少ないのは,…」と読んでも,特別興味をもって調べた人でないかぎり,「東北に部落が少ない? どういう意味?」と首をかしげるのではないか。

 ふたつめ。ページが戻るが80ページの一文で,宮守村(現遠野市)在住の阿部順吉さんの著作をもとに,縄文語を受け継いで現在も残る東北の方言を挙げ,「阿部さんは間違いなく大和朝廷に抵抗した安倍一族,山の民の末裔であろう」とほとんど断定しているが,「山の民」の末裔ではあろうけれど安倍一族の末裔とまでは断定できないのでは。本人の談話として書くならまだしも。安倍一族は盛岡に10軒ほど「安倍」姓が見られるのが末裔と思われるが,「阿部」姓はそれこそ星の数ほどあるし…。もっとも阿部さんの著作にそれらしき記述があるなら別だけれど。

 みっつめ。本書156ページの第12章以降から,岩手を舞台にした蝦夷・東北民VS.大和朝廷・中央政権の歴史を順につづっている中で,どうしたってすっぽり抜け落ちている戦いがある。小繋事件だ。山地の入会権をめぐる百年四代にわたる闘争は,近代岩手県史で燦然と輝き,岩手県民にとって絶対に忘れてはならない戦いであった。これにまったく触れていない理由がわからない。地理的にも近いことだし,戦後の裁判は久慈さんの記憶にもあると思うのだが。

 というわけで本書の感想および不肖なる批評おわり。二回にわたって書いた拙文,久慈さんのメールアドレスを出版社から聞いて送ってみようかと最初は思ったけれど,やっぱやめとこう(笑。

 俺もこんな本書けるようになれるかなー。つぎは何を読もうか。

蝦夷(エミシ)・アテルイの戦い―大和朝廷を震撼させた (遙かなる縄文の風景)

蝦夷(エミシ)・アテルイの戦い―大和朝廷を震撼させた (遙かなる縄文の風景)