「つくる会」のカラスたち

 5月10日に書いたやつの続編です。まず再掲。

 まあ6年前のお話ですが,後三年の合戦後の義家の描き方からして,産経子飼いの「新しい歴史教科書をつくる会」て,知能の程度が中学生並みというか,烏合の衆かと思いたくなります。いや東北をなめてるんでした。ふざけてるんでしょうか?

 ファンタジー(神話)を実話めかしてつづったことでも話題をさらった扶桑社版歴史教科書は,去年の二度目の採択でも採択率が思わしくない結果に終わり,版元の扶桑社が,「新しい教科書をつくる会」の処遇を検討していたことも意外ですが,それが「断絶」という形で決着したのも驚き。これまで二人三脚で励んできた同志ともいえる両者になにがあったのか。J−CASTのサイトから「つくる会」と扶桑社との協議を転載します。

扶桑社 「また同じものを出して、今の採択結果では、採算、ビジネスとして困る」
つくる会 「西尾・藤岡をはずし、教育再生機構側の人を責任者にするのは理解できない。教育再生機構が組織としてつくる会の教科書に発言する権利はない」
扶桑社 「2回目の検定を通った教科書をそのまま3回目にも出すというなら、それはそれで結構だが、私たちはそれは取らない。それなら、扶桑社として、極論をいえば、どこかの出版社から出してもらいたい」
つくる会 「結局、中味が悪いから採択率が低かったと判断されているようだが、間違いだ。扶桑社としては、つくる会との関係を従来の2回の採択の時の状態に戻すということについて、再考の余地はないという風に受け止めてよいか」
扶桑社 「はい」
http://www.j-cast.com/2007/06/01008117.html

 「つくる会」が「中身が悪かったから採択率が低いという判断は間違い」と反論するということは,「中身」は悪くなかった,自分らが仕上げた「新しい歴史教科書」には強い自信があったということでしょう。教科書の「中身」の良し悪しを判断するのは「つくる会」ではないんですが,「つくる会」は「中身は悪くない」と断言しています。

 これは裏を返せば「つくる会」以外の歴史教科書は「中身が悪い」ということになります。自分ら以外の出版社がつくった教科書なぞ使う価値なし,と。

 「つくる会」は相当な自信家の集合体でもあるようです。烏合の衆と先の日記で書きましたが,烏(カラス)は徒党を組めば厄介だけれども,天敵が本気でかかって形勢が変われば一目散に逃げ出しますから,もともと気弱で,機を見るに敏感なんですよ。ところが「つくる会」のカラスたちは妙な自信をお持ちでらっしゃる一方で,鈍感であられる。採択率1%以下という結果を受け入れようとしないのも無理はありません。

 しかし扶桑社は,まあビジネスと割り切るところにも見られるように,決して鈍感ではない。用心深くて狡猾です。「つくる会」との関係をつづけることは会社にとってマイナスと判断したのがその証拠。「ウチはきちんとした識者に教科書を書いてもらうことにする。お宅らの教科書の出版は他社をあたってくれ」と。社会の厳しさでしょうな。

 でも「つくる会」のカラスさんたちは落胆する必要はありません。くだんの歴史教科書は,中身は措いといて,話題性は群を抜いています。まだ3年の猶予がありますし,扶桑社に代わる版元などすぐに見つかるでしょう。ただし「中身」の良し悪しを判断するのは,「他」に任せたほうがいいと思われます(「他」が何者であるかは書かないでおく)。でないとまた無残な採択率に終わるかもしれませんから。