『神童』――「音」にこだわる

 『神童』(萩生田宏治監督・向井康介脚本・さそうあきら原作)を盛岡で観てきた。手塚文化賞受賞の名作漫画を,ほんの一週間前まで映画化されていたことすら知らなかった。売れなかったけれど「音」を漫画で描いたあの話題作は,私も率直に打たれ,30歳過ぎながらはまってしまったほどだった。

 ただ単に人気漫画を映画化したものなら腐るほどつくられているし,実際に腐敗臭のかぐわしい駄作がほとんどを占めているが,『神童』は“人気漫画”ではないし,作者も出版社も採算を度外視して連載に踏み切り,最後まで作者の意に沿う形で物語を進行させ,完結させた秀作。だからこそ識者に認められ,手塚文化賞を受賞したのである。私も「もしや」と思い,期待をもってシネマを訪れた。土曜夜のレイトショーで。

 観客は私以外に3人だけ。古ぼけたシネマスクリーンだったが,幸い音響はステレオであった。どんな映画だろう。萩生田宏治監督なんてきいたことないけど…。

 主演の成瀬うた役は成海璃子。テレビドラマはまず見ないけれど,14歳という年齢にしては経験の豊かな子役らしい。いい演技をしていた。成瀬うたのイメージに見事に合致していて,しかもピアノもギリギリ心得ているよう。大学の階段の最下で廃棄待ちのピアノを弾くシーン,御子柴教授との出会いでもあるが,すてきな演出に助けられ,観るひとの心に残りうるシーンを演じることができたみたい。また,眠りこけている和音にキスするシーンも観るひとを和ませる。ほかには同級生の男子に「あたしの耳,変?」と聞いて,ひそかにうたに想いを寄せている彼は「お前の存在自体が変」と言い,ショック?で唇を震わせ涙をあふれさすのは並みの演技力ではないな,と思った(涙をながす必然性だけはよくわからん)。

 菊名和音役は松山ケンイチか。これまた知らないタレント。ピアノをそこそこ弾ける俳優ならだれでも演じることができる役回りだが,「『松山ケンイチ』でなければああいう演技はできない」と言えそうなシーンは皆無。それなりに熱演していたけれど,成海璃子の引き立て役でしかなかったようだ。まあ成瀬うたにしても和音にしても,見せ場のピアノシーンは代役がやってることだろうけれど。

 結論として,いい出来だった。漫画原作の映画にしては,上出来であろう。監督も演出も,音と映像と各俳優の演技をがっちり組み合わせ,レベルを高めることに成功したといえる。スクリーンに暗い印象が最初から最後まで一貫していたのは,やはり映像よりも「音」を最大限に観客に味わってもらいたいという気持ちの表れか。評価は分かれようが,私としてはいい試みだと思った。

 それにしてもピアノか。過去に彼女と呼んだことのある女の子は,直近のふたりがいずれもピアノ弾きだったな。ほろ苦いイメージが重なる。

 私自身はピアノなんてまったく弾けないし,上手い下手を判定する能力もないが,音の判別にはそこそこ自信があったりする。野鳥の会会員で,小鳥のさえずりでもって種類を聴きわけるのだ。映画の序盤,ボートに寝っ転がって「音を聴いてた」と和音が言う。うたが耳をすませるとどこからともなく聴こえる小鳥の声――。

 カワラヒワに似ていたけれど微妙に違うような。オオヨシキリも鳴いていたから,うたと和音の出会いは初夏ですね。それから和音の受験まで半年以上もだらだらつづいていく理屈と。そんな季節感があいまいなところが,映画の中で感じた珠にキズです。

 ともあれ全体的にいい映画でした。ヒットはしないだろうけど。ある意味一番光っていたのはうたに恋した少年くんかな。彼に助演男優賞をあげたいかも。