子どもの写真

N川で写す。2000年8月。


 12〜3年前の夏、リーダーがやってるホームページにアップロードする画像を撮るため、N川に毎日のように通いつめた。水に遊ぶ子どもたちをとおして、N川の清流を全国に発信するためだ。

 学校が夏休みにはいって梅雨が明け、真夏の太陽が照りつけるころ、河川公園は土日となると家族連れがつかの間の夏を過ごしにやってくる。子どもを連れた里帰りの一家が、私の目当てだった。

 カメラを向けると子どもは笑顔で撮影に応じてくれるが、撮影には、付き添いの親の同意が絶対条件と決めていた。中学生以上ならまだしも、小学生以下の幼い子どもの写真を勝手に撮ることは許さなかった。

 当時はまだデジカメが普及しておらず、カメラは普通のフィルム式のコンパクトカメラ。フィルムや電池切れにさえ気をつけていれば、連写が可能なほか仕様もシンプルなので、いまもよく使う。

 青空の下で清流にたわむれる子どもたち。ピースサインで笑顔を振りまき、しぶきに濡れた顔や髪は、夏を感じさせるにはこの上ない素材だった。色とりどりの水着や、涼しげなワンピースもよく映えた。

 いまではありえまい。これだけネットが普及した現在、素性の知れないオッサンが我が子の画像を撮り、どこぞのサイトにUPしたらと思えば、警戒するのが当り前だろうから。

 でもこのころは、どの親御さんも、撮影にはこころよく応じてくれた。水着姿はもちろん、素裸で遊ぶ子どもでさえ、撮っていいと言われた。いまそんなことをしたら大問題になるだろう。素顔でさえ肖像権が立ちはだかる時代だ。

 いまもときどきカメラを持って河川公園にいくが、家族連れは以前と変わらず訪れているけれど、写真を撮る気にはならない。了解を取り付けるのが面倒だし、そもそもOKもらえそうにない。せいぜい遠くから全景を写すのみ。

 デジカメは、撮った画像をその場で見られるなど便利づくめだが、利便性のよさが仇となって、ヒトを写すのに気を使いまくらねばならない。写される方も、できれば応じたいところだろうが、知人ならまだしも、いきなり現れた人間に用途がハッキリしない目的で写され、妙なサイトに貼る気では…と勘ぐるのが当然だろう。

 子どもを写すのは細心の注意を払わねばならない時代になった。よほどの必要性か、「絵」にならなければ、私は親の了承を得てまで子どもは撮らないことにしている。冒頭の画像は12年前撮影。この子たちもすっかり大人になっているはずだ。