増田町でロケが行われなかった理由

 『釣りキチ三平』は、私の少年時代の愛読書のひとつ。作者・矢口高雄さんの生家のある増田町(現横手市)狙半内地区とは、私の家から直線で6キロほどで、言葉はもちろん、文化も生活習慣もほぼおなじ。尾根がふたつも立ちはだかっている都合で双方の交流は薄いが、地元で矢口さんの名を知らない人はいない。

 郷里秋田を代表する漫画家・矢口高雄さんの代表作『釣りキチ三平』の実写映画化は、以前から構想がありながら、対象が生きたサカナという難しさが実現を阻んでいたという。それがCG技術の進歩でこのほど完成に至り、20日に公開され、ついに昨夜、大仙市のシネコンで鑑賞してきたところ。

 監督は、かの『おくりびと』を創らしめた世界的映画監督・滝田洋二郎氏である。『おくりびと』の舞台は山形県庄内地方。つづく『釣りキチ三平』が、わが郷里秋田の自然を舞台にしているとなれば、郷里人として見逃すことは許されない。期待に胸を躍らせ、座席に着いた。

 では、娯楽・取材モード半々で臨んだ『釣りキチ三平』鑑賞の一部始終を以下に述べよう。

「三平君の夏休み」でした

 結論から書くと、つまんなかった。事実をねじまげている。お仕着せでいいとこ盗りのつまみ食いである。金の無駄遣いとまでは言わないが、『おくりびと』と似たような感動をファンに与えようとした監督の思惑は、カスリもしなかった。

 『釣りキチ三平』の原作と違うのは、何の問題もない。日本国内の釣り行脚活動しているはずの鮎川魚紳が、なぜかアメリカのバスプロになっていることや、原作では三平家の近所の若い女性である「愛子」を三平の姉に持ってきたのは別によろしい。愛子がかつて家出同然に都会へ飛び出し、弟の三平を呼び寄せようとする展開も、個人的に悪くないと思う。だからストーリーについては、ひとつのエピソードとして脚本を仕上げた監督の好みだから、これは受け入れよう。

 さて、ではどこが悪いのか。

 まず秋田弁がまったくのデタラメなのだ。これは容認できない。断じて許しがたい。地方の自然を舞台にした物語の根幹をなす「郷里の言語」をないがしろにした滝田監督の不見識を指摘する。『おくりびと』で役者たちにあれほど徹底させた方言指導は、いったいなんだったのかと怒りさえ覚える(原作漫画の三平君が話す秋田弁もかなりいい加減だが、ここでは映画版のみを論ずる)。

 撮影は3ヶ月かかったという。たった3ヶ月でいい映画がつくれるのかと素朴な不安がよぎったが、予想通りの脱力感。「三平君の夏休み」で終わってしまったではないか。2時間という長さでありながら。雪のシーンがひとつもない『釣りキチ三平』なんてナメてるの?と思った。

 個別のシーンで感じた疑問。これは掃いて捨てるほどある。

 ぶっとんで驚愕したのは、キャストが「夜泣谷」へむかう渓流の遡行で、水中のシーン。浮石の上に足を乗せ、石の上を歩く場面だ。これは自殺行為である。水の中の石は藻類が付着していて、加工していない長靴だと滑って危険なのだ。加工していても、濡れた石の上は絶対歩いてはいけない。石と石の間に足を挟むように歩かなければ、ひっくり返って大変なことになりかねない。映画をみた人が同じように川を遡行したら、大怪我の元になるだろう。

 夏なのに虫がいない。秋田の田舎の盛夏はアブ・ハチのオンパレード。ことに渓流はツナギ(メジロアブ)と呼ばれるアブの襲撃が名物なのだが、一匹の虫もなし。

 愛子と三平の墓参りシーン。なんで亜高山型のコマドリが田んぼで鳴いているのかと呆れた(野鳥の声で気になったのはこれだけ。ほかは問題なかったようだ)。

 ユリっぺとヤマメ釣りしているシーン。渓流魚を釣るさいは会話などご法度、姿をさらすことなど論外なのだが。

 ふう、これだけ書いたらすっきりした。揚げ足とりの粗探しはこれくらいにしておきます。気分悪くした方、ごめんなさい。

矢口さんへの疑問

 10年ほど前、私は矢口さんへ手紙を送ったことがある。ある事業にからんで矢口さんにどうしても知ってほしいことがあり、事実関係をつづった手紙に資料を同封し、講談社の担当編集者に教えてもらった住所へ、2度ほど送付した。返事はいただけなかったが、矢口さんはきっと私の気持ちを理解してくださったと信じている。

 その矢口さんが、映画公開に先立って掲載された「秋田魁新報」(2009年2月25日)の特集記事で、こんなことを述べていた。横手市増田町「まんが美術館」での舞台挨拶の言葉だ。全文掲載する。

 この映画は、世界で最初に、誰よりも早くこのまんが美術館で上映したかった。一番困ったのは、原作にはない、しかも「釣りは大嫌いだ」というお姉ちゃんが出てくること。ぼくから見ると、一番いけ好かない女だった。この三平を秋田から東京に連れて行って高等な教育を受けさせたいというシナリオだった。
 ぼくはプロデューサーに「何を言ってるんだい。東京に行くと、みんな勉強ができるのかい」と食ってかかった。「いまや秋田県は日本でトップの学力なんですよ。そんなのは関東人のごう慢だ。やめてしまえ」。ここまで言った。そういう映画ですから、ご覧になってください。ハンカチが二枚は必要になります…。

 東京志向の設定が不愉快だとの矢口さんの気持ちは、われらが秋田県人の心境を代弁している、と言いたいところだが――。

 「東京に行くと、みんな勉強ができるのかい」とプロデューサーに食ってかかったという矢口さん。申しわけないが、あなたにそんなことを言う資格はない。秋田の田舎を捨てて東京で漫画家として成功をおさめ、プロダクションを設立し、もはや秋田弁を忘れた矢口さんに「関東人のごう慢」だのという資格はない。

 矢口さん、あなたは秋田を、増田町を捨てたでしょう。故郷を捨て、お母さんを妹さんのところへ置き、無人となった実家の管理を親戚に任せ、もう秋田に戻る意思はないのでしょう。あなたが「愛子」に「いけ好かない」感情を抱いたのは、あなた自身が愛子と同じ過去をお持ちであって、故郷を捨てた負い目を心のどこかに隠し持っているからでしょう。その愛子は、物語の終盤で、ふるさとへの慕情を取り戻した。秋田を見直し、郷土愛に目覚めました。あなたは秋田を好きになった愛子を嫉妬しているのではないですか。

 秋田県南地方出身の俳優・柳葉敏郎さんは、一家で秋田に戻ってきました。年老いた母親の介護のためと、お子さんの教育には東京よりも秋田のほうがふさわしいと考えたからだそうです。奥さんは秋田での言葉の壁に苦しみ、柳葉さんは妻へ配慮を欠かさないように接しているそうですが、矢口さん、あなたはついに、いまのいままで、柳葉さんのような行動はなさいませんでしたね。それで「いけ好かない女」などとよく言えたものだと思います。

 本作は、あなたのいうように涙なしでは見られないシーンもあります。いまはこれ以上書きませんが、私が思うのは、あなたの漫画にではなく、発言・行動にこそ、涙と感動を誘うものを見せてほしいということです。

キャストあれこれ

 須賀健太さん、三平役がハマっていました。でもデタラメ秋田弁を仕込まされたのは気の毒です。3ヶ月のロケは、ほうぼうで苦労したと聞いています。「釣りキチ三平」があなたの代名詞になるくらい、ヒットするといいですね。

 渡瀬恒彦さん、大俳優もデタラメ秋田弁に違和感を覚えなかったようです。一平じいさんのイメージには、個人的にそぐわないと思ったし、ひょうひょうとした演技が役不足気味に見えたのは気のせいでしょうか。

 映画序盤の鮎釣り大会シーンは、湯沢市雄勝の秋の宮地区を流れる役内川が舞台になっていた。いわく「役瀬川」という名にされていた。実在する河川名ではまずいのかなと。優勝した三平と2位の一平じいさんに難癖をつけた3位選手、どこかで見たなーと思ったらコント赤信号小宮孝泰さんだった。演技力もなかなかのタレントさん。調べたら釣りも得意らしい。お疲れ様でした。

 鮎川魚紳役の塚本高史さん、朝日生命生活情報誌「SANSAN」2009年4月号にインタビュー記事発見。こんなこと語っている。

 ぼくが演じたのはアメリカで釣りのプロとして活躍している鮎川魚紳という人物なのですが、釣りの動作を本物の釣り師らしく見せることに苦労しました。これまでフライ・フィッシングの経験がなかったので、竿・リールの扱いなど、釣りの先生についてレッスンを受けました。

 なんですかそれ…。妙にぎこちない釣りだなと思ったら、まったくのド素人だったんですか。塚本なんて役者さん、失礼ながら知りませんでしたが、そんな俳優を起用する方もどうかしているんじゃないかと。もちろん塚本魚紳の存在感は原作どおり大きいものでした。

 香椎由宇さん、もっとも演技力を必要とする愛子姉ちゃんの大役でした。失礼ながらどのような女優さんなのか存じ上げていませんが、これをきっかけにさらなるご活躍を期待いたします。出身は関東だそうですが、色白素肌の秋田美人をしっかり演じてくださったようです。

 土屋太鳳さん、ユリッペはすがすがしい光明、癒しでした。デタラメ秋田弁でも、あなたの存在が全体を明るく、さわやかにしてくれました。本作一番の功労者だと思います。

滝田洋二郎監督へ

 初っ端から辛口批評をかまし、非礼を詫びます。

 3ヶ月という短期間で秋田でほぼすべてのロケを済ませ、ファンの期待に答えるべく、かなり無理をされたと存じます。秋田県人として、こころからねぎらいとお礼申し上げます。

 映画の節々に見られる自然への愛護精神と文化への敬意は、滝田監督の思い入れ、こだわりと見ました。仏壇のわきのコケシ、バス停そばの錆びついたベンチ、橋の欄干、砂利道など、なつかしいふるさとの風景を見た思いです。

 本作品は、ほぼ全編を秋田で撮り終えましたが、作者・矢口高雄さんの故郷である横手市増田町狙半内地区は、ロケ地に選びませんでした。理由はわかっています。増田町には、ロケにふさわしい場所が絶無だからです。

 なぜだかわかりますか? 地元の町長・町議会・有力者すべてが、矢口さんの生まれ育った地域の自然を、徹底的に破壊しつくしました。

 滝田監督は、漫画「釣りキチ三平」の舞台を自分のふるさとと重ね合わせたはず。矢口さんの郷里・横手市増田町狙半内地区へもきっと足を運ばれたことでしょう。そして呆然としたにちがいありません。文化も風土も景観もへったくれもなく、ズタズタに引き裂かれ、木っ端微塵に粉砕された“ふるさと”の姿に。あこがれの「三平」の里の、見るも無残な実態に。

 そのひとつをここに紹介します。


 この写真はいまから10年ほど前のものです。どこだと思いますか? 矢口さんのふるさと・旧増田町狙半内地区の最深部です。

 旧増田町は、同町の自然の核心部(コア)にて、このような蛮行を繰り広げました。それについて、町内では疑問視する声さえゼロでした。

 この惨状に象徴されるように、増田町には自然も文化も、心から住民が誇り、守れるものが消失しました。それにともなって町民のこころも荒廃し切ってしまったのです。なんの異論も唱えないのがその証拠。

 監督さんはその実態を知ったからこそ、増田町をロケ地から除外したのでしょう。それを公に発言することはできないでしょうから、私が代わりに拙ブログで公開します。

 アユ釣り大会シーンの湯沢市秋の宮の役内川はじめ、三平君の家のある五城目町の北ノ又集落、墓参りは横手市雄物川町、源流行に登場したネコバリ岩周辺、魚止めの滝は東成瀬村天正の滝、そしてハイライトとなる夜泣谷は由利本荘市の法体の滝。程度の差はありますが、いずれも秋田が誇る名勝・景勝地です。秋田弁を軽視した手法は容認できないけれど、わがふるさとを内外にアピールし、郷土愛を県民に呼び起こさせてくださったことを、厚く感謝申し上げ、次回作に期待いたします。
(参考URL:ロケ地としての増田町

夜泣谷のモデル

 舞台となった「夜泣谷」には、実在のモデルが存在します。それは成瀬川源流・北ノ俣沢です。

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 この一文は、滝田監督へメールでお送りする所存です。