「雁行の乱れ」の名所はズタズタに

 秋田県横手市と美郷町の境界に小高い丘があり、小規模な森林に、一帯は田畑やりんご畑、沼地となっています。

 そこは歴史上有名な戦乱があった場所です。あの後三年の合戦(役)。

 前回の日記は名作『炎立つ』を挙げたものですが、その小説にも登場した「雁行の乱れ」の舞台なのです。

 雁行の乱れ
 源義家が金沢柵に進軍中、立馬郊附近にさしかかると、一行の雁がにわかに列を乱して飛び散りました。
 馬を立ててじっと見ていた義家は、かつて大江匡房から習った兵法を思い出し、「伏兵があるにちがいない」と、附近をさがさせたところ、果たして西沼の附近から三十数騎の敵兵を発見し、これを全滅させることができました。
 匡房の門をたたき、文の道に励んだときに習った中国の古い書物に、「兵野に伏す時は雁列を破る」とあったことを思い出さなければ武衡の奇襲に遭ってやられていたと述懐したといいます。
http://www.yokotekamakura.com/kanezawa/battle/legend/legend.htm

 出羽の豪族・清原氏のお家騒動に、自分の判断で介入したに過ぎない源義家の名将(?)ぶりを称える1エピソードですが、源義家が果たして名将であったかどうかは別として、この有名な逸話のあった場所は、いまも沼地があり、将軍の命を狙う武者が身を潜められそうな葦原が広がっています。

 つまり、後三年の合戦の主舞台のひとつで、過去の面影を残し後世に伝えなければならない、秋田では数少ない歴史上の名所。

 それを管轄する美郷町と横手市は、この沼地において、なにをやったと思います? 写真をごらんください。







 いわずと知れた“整備”“開発”という名の景観破壊行為です。2枚目の「(ゴミを)捨てるな」という看板の影の電信柱はなんの冗談でしょう。「電柱を建てるな」と書くべきではないでしょうか。

 横手市側はここを「平安の風わたる公園」と名づけて整備(つまり破壊)し、美郷町側は温泉施設やスキー・サッカー・ゴルフ場にキャンプ場といった、およそ平安時代の出来事とどう結びつくのかわからないシロモノでもって、かような整備(同じく破壊)を行いました。ご愛嬌の携帯電話の基地局鉄塔をはじめ、電信柱と電線も住宅街なみに林立しております。

 これらはすべて合法。歴史的な名所であろうと、開発行為(破壊行為)も鉄塔建設も、まったく問題ないのがわが祖国であり、郷里なのです。

 ただし、合法であっても、たとえば古来の姿を尊重する人々が、鉄塔反対や運動場建設反対を叫び、行動することは、戦前とちがっていまの日本ではもちろん自由なのですが、どっこからも反対の声は、ありませんでした。画像の数々がその証拠です。

 かくして後三年の合戦「雁行の乱れ」の舞台は、無残に引き裂かれてしまいました。

 「景観の保全」なんて言葉がむなしく聴こえるばかりです。世界遺産登録が期待される平泉も景観問題で揺れていますが、秋田のそれは比較にならぬお粗末さなのでした。