杉山秀樹・客員教授インタビュー(朝日新聞山梨版)

 『朝日新聞』の山梨版にあった、杉山秀樹・秋田県立大客員教授のインタビュー記事を貼っておきます。全文です。(2011年02月09日掲載)

単刀直入・秋田県立大客員教授 杉山秀樹さん
 ■クニマス再発見 保護も何もまず知ること
 ――田沢湖秋田県)で絶滅したとされていたクニマス富士河口湖町の西湖で見つかった、という知らせをどのようにして知りましたか。そのときの心境を。過去に、この魚を目にしたことは
 「今回、クニマスが西湖で見つかった、という話は新聞報道で知りました。僕はこれまで『絶滅した魚』と思っていただけに、そんなことがあるのだろうかと思い、驚いた。というのは、1995年に、当時の田沢湖町観光協会が100万円の懸賞金をかけて『クニマス探しキャンペーン』をし、その後も、500万円に増額して継続したことがあったから」
 「その間、クニマス鑑定委員会の委員として、西湖や本栖湖を含め、各地から持ち込まれたものを調査・分析したが、それらはクニマスではなかったと判断したことがある。一方で、クニマスについては、25年にアメリカで新種と認定された際の3匹の標本をはじめとして、京都大学秋田県など、現在、世界にある約20個体の標本のすべてを僕自身が実際に見たことがある。また、文献資料を調べて本に著し報告したこともある」
 「そして現在、西湖のクニマスについては、『クニマスが見つかった』という言葉だけが出ているが、その実態については、何もわかっていない状況であると感じている」
 ――もともと生息していた田沢湖の周辺で、この魚の存在を知る人は少ないのでしょうか
 「地元にとってクニマスは食べる魚だった。希少な魚ではなく、漁業者が刺し網で漁獲していたのです。文献によれば、宝暦年間(1751〜64)以前から生息していて、安永から天明には非常に多かったという。文化年間の中頃になるといっそう増加して、1日に数千匹を捕獲したという。また秋田県水産試験場によれば、昭和2(1927)年には3万6719匹、同10年には8万7660匹だと報告されている」
 「いまも、クニマスを食べた頃を覚えている方もいます。クニマスは、生物学的には1925年に新種として報告されましたが、当然のことながら、そのはるか以前から、地元では漁獲し、食べていた魚なのです」
 ――山梨側としては、クニマスの保護をどう進めるべきでしょう
 「対象を十分に把握できなければ、効果的、効率的に保護はできません。現在、西湖のクニマスについて、いつ、どこで産卵するのか、孵化(ふ・か)は、成長は、餌は何か、資源数がどれくらいかなど、何もわかっていないと思われる。また遺伝的な把握や、形態的な特徴などもわかっていない状況です。これらのことについては、基本的には、山梨県の試験研究機関で実施することになると思うが、可能であれば、将来的な対応を考えたとき、秋田県とともに実施できるとよいと考えます」
 ――クニマスの「里帰り」の実現性はどうでしょうか。一番は、田沢湖の水質が心配です
 「西湖のクニマスについて生態などが何もわかっていない現在、『里帰り』の前に、十分に調査研究をしなければ何もできない。今後、具体的に調べるなかで、すぐにやること、中期的にやること、そして長期的に対応すること、というように考えていかなければならないでしょう」
 「秋田県にとって『里帰り』とは、『クニマス=固有種=田沢湖』が基本であり、そのためには、地元の理解がなくてはならない。現段階は『里帰り』の事前の位置づけであって、さまざまな課題の一つとして、田沢湖の水質改善も検討する必要があるが、単に、それだけを検討しても意味がない」
 ――この魚とどうかかわりながら、絶滅から繁殖に向けて関係者と連携していきますか。富士河口湖町では保護に向けてプロジェクトチームが立ち上がった
 「クニマス生息の現状と今後の対応については、両県や市町村、漁協、研究者などがそれぞれ役割分担をきっちりとしながら、全体像を描けるような形にすればいいでしょう。そのなかで、秋田県であれば、地元の住民から当時の記憶を聞き取り、漁獲方法などの映像の保存や文書、写真、調査資料などの発掘はすぐにでもやらなければなりません。官民が一体となった協力が不可欠なわけです。山梨のチームの立ち上げは、具体的に何をしていくのか、というしっかりとした考えをもって、クニマスのことについて、継続して調査していってほしい」
 「また可能であれば、田沢湖の固有種であるクニマスの正体を知るために、日本をはじめ、ロシア、アメリカやカナダなどに分布している近縁のヒメマスの調査もやりたいと思っています。いずれにしても、クニマスについて、これからやっと第一歩が始まるところだと思っています」


《略歴》
 すぎやま・ひでき 1950年、東京都生まれ。東京水産大学卒業後、77年に秋田県庁に入る。83年からハタハタに関する研究を担当、資源回復に取り組む。
 現在、秋田県立大学生物資源科学部客員教授を務める。
 著書に「クニマス百科」「秋田のハタハタ文化」。


《取材を終えて》
 「クニマスとはどういう魚か」と公開講座で話しているそうだ。ある日、地元小学校の教師が素朴な質問を投げかけてきたという。「どんな魚なんですか」。これには参ったそうだ。小学生にわかりやすく教えることが「できないんですよ。難しいことなら、いくらでもできるんですがね」。このウラには、自身まだ、未知なる部分があるからだと推測する。魚の生態について著書がある学者であっても、である。
 「解明しなければならない部分がたくさんある」。幾度となく口にしたこの言葉にこそ、秋田に住んで魚の歴史に身近に接していてもなお不可解な要素が多いからこそ、小学生とはいえ、話せなかったのではなかろうか。
 しみじみこうも言われた。「残念だなあー。田沢湖クニマスの鱗(うろこ)1枚でもあれば遺伝子の研究ができるのに」。そして話はこの魚のルーツへも。日本海から雄物川などをさかのぼったベニザケだ、とも。たかがクニマスというなかれ。この魚に畏怖(い・ふ)・畏敬(い・けい)を抱かざるを得ない。(上田真仁)