大地震があった日(3月11日と12日)
湯治へ
3月11日、朝9時30分ころに自宅を出て、車をとばし宮城県大崎市へ向かう。旧鳴子町の中山平温泉で休憩し、鳴子のUという旅館へ移って湯治する。きょうから2泊3日の予定だ。
国道13号線から108号へ。鬼首峠を過ぎ、国道47号に入ると新庄方面へゆき、10分ほどで中山平温泉峡へ。現地は寒く、雪が舞っていた。
そこのR旅館に入り、日帰り休憩を伝え、広間へ案内された。
手頃な値段で泊まれることは知ってるので、中の雰囲気がよければ、次はここに泊まってみようと考えていた。
そこそこといったところか。
15時に鳴子のUへチェックインすることになっていたので、14時30分にはRを出た。
縦揺れ
14時40分すぎには鳴子へ到着。車を駐車場に置き、外へ出て、後部座席に置いてある荷物を取り出そうと後部ドアを開けると、突然ズズンという音とともに、揺れ出した。
9日だったか、マグニチュード7クラスのけっこう大きな地震があったばかりなので、また余震か、と思ったが、揺れ方がただ事ではない。
縦揺れだった。船に乗ってるようだった9日の地震とは違う。
大地が震えていた。砂利道の悪路を自転車で走っているような感覚だ。
ゴゴゴゴという地鳴りが響く。周囲の建物の窓ガラスがガチャガチャと震える。立木も電信柱もてっぺんまで震えていた。駐車場に止めてある車もユッサユッサと動く。すぐそばを通る国道47号を大型車が徐行で進んでいた。
揺れは通常、1分足らずで収まるが、この揺れは1分どころじゃない。
2分過ぎても、一瞬弱くなったかと思うと、また激しく揺れ出す。
こんな揺れ方は初めてだ。
旅館の建物から湯治客が数人、たまらず飛び出しかけた。
それを見た私は、一瞬迷ったが、ひとまず両手で制止した。
広い駐車場のほぼ中央にいる私は問題ないが、建物の中にいる人は慌てて外に出るべきではない。雪で転んでケガをするかもしれないし、建物のガラスが割れて頭に降り注ぐ恐れもある。これ以上揺れがひどくなればガラスが破損し、建物の倒壊も危惧されたけれど、どうやらそこまで強くならないとみた。
やっと揺れが小康状態になった。5分以上経ったろうか? 体感では、震度6弱といったところか。
停電
こんな大きな地震の直後で、旅館に普通に泊まれるかなと不安もあったが、いちおう荷物をもって玄関に入った。
停電していた。玄関の生け花が倒れて花器が割れ、売店コーナーの棚に飾ってあった花びんも3〜4個ほど落ちていたが、目立った被害はそれだけだった。厨房はどうだかわからないが。
それだけじゃない。いまも揺れている。強くはないが、震度3はありそう。それが断続的につづいているのである。
一応、泊まりは受けつけてくれたが、従業員たちは電気がつかないとか温泉の源泉が止まったとかで大わらわだった。
温泉に入れないなら来た意味がない……。そう思ったけれど、すこし待てば復活するだろうという軽い考えで、チェックインをすませた。
とりあえず地震情報を知りたいと思った。しかしテレビはつかない。自分のケイタイ電話でネットに繋ぎ、情報を得た。
「えっ」て思った。私のいるところそのものじゃないか。
最高震度を経験したのか? そこまで強くはなかったと思うが。
旅館の人によれば、ここは北部というより北西部にあたるそうだけど、北部のひとつを構成することは確かだろう。
でも鳴子は地盤が固くて、地震が起きてもあまり建物に被害はないという。たしかに建物自体は、どこも目立った被害はなく、救急車や消防車のサイレンが聞こえてくる気配もなかったけれど、カルデラ湖があるくらいの火山地帯なのに地盤が固いなんて、と不思議に感じた。
大津波
まだときおり揺れている。部屋に入るのがためらわれたが、玄関は寒いので入室した。従業員が石油ヒーターを灯油ストーブに取り換えてくれたものの、地震が頻発しているのに大丈夫かな。部屋から離れなければいいだろう。
しかしケイタイからの情報は、いちいち驚かされた。青森から茨城までの太平洋沿岸部に大津波警報。その高さ10メートル。
どんな光景かと思ったが、テレビは見られない。ああもどかしい。
駐車場に止めてある車でラジオを聞きたかったが、困ったことに車のラジオはイカレている。
それでも車に戻ってみると、隣の車両にカーナビでテレビをみていた湯治客がいたので、見せてもらうと、気仙沼が大津波に襲われている映像に目を剥いた。
港がドス黒い波に飲み込まれているのをみて、低い声で呻くしかなかった。
ケイタイ電話の充電したくても、電気がない。ふと思いついて、車のシガライターから充電しようと、充電器を買いに近くのコンビニへ走った。途中のスーパーは営業を中断していた。
コンビニは営業をしていたが、地震直後に客が殺到したらしく、弁当と電池はすべて売り切れていた。
充電器をどうにか獲得し、レジをすませて去るとき、店長らしき人が「もうダメだ、閉店しよう」とつぶやくのを聞いた。
帰り際には、店長は来店客に事情を話して、手早く買い物をすませるように頭を下げていた。
車でケイタイのバッテリーを充電し、ひきつづき情報を集めたが、震度7の宮城県北部の詳細が出てこない。代わりに大津波警報を盛んに訴えているようだった。
そのケイタイもなかなかつながらなくなってきた。
ロウソクの明かりで
自宅に電話がつながり、無事であること伝えられたが、むこうも停電らしい。
今夜はどうなるんだろう?
部屋にもどり、ぼんやりと考えた。電気がはやく復旧することを祈りつつも、風呂に入れないならあした帰ろうかと思いはじめた。
従業員によれば、夕食とあすの朝食は出すという。電気はまったくわからないとか。自炊客がひとり、沿岸部にある自宅の様子が心配だからと帰って行ったそうだ。
暗くなると従業員がロウソクを持ってきた。
やがて夕食が運ばれ、ロウソクの明かりの下で食べた。
R旅館でたっぷり風呂に浸かったからいいようなものの、これじゃ湯治にならんわな。それより地震情報が見たかった。
夜更けに車からふたたび充電し、深夜のアクセスに備えた。自宅から緊急に連絡くるかもしれないし。
不安な気持ちで眠りに就いたが、深夜中、余震がひっきりなしだった。
翌朝(12日)。いちおう浴場に行ってみたけれど、やはり風呂場は閉鎖状態だった。
従業員が朝食を運んできたとき、やはりきょうはこのまま帰ることを伝えた。従業員はすまなそうだった。