東日本大震災――教訓は活かされたか

陸前高田市某所にて。2004年6月3日撮影

景勝の街、無残 陸前高田、一面がれき
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110313_7
津波覆った岩手・陸前高田市 日常から一瞬、がれきの山
http://www.asahi.com/national/update/0312/TKY201103120572.html

 山内ヒロヤス著『砂の城』を読んだのは昨年(2010年)秋のことだった。『砂の城』は明治三陸津波(1896年)を題材にした小説で、津波で大災害をこうむった現地の状況をつぶさに取材した塚本孝夫という記者を描いたもの。塚本記者が著した『大海嘯被害録』が紹介されており、2008年に出版された。版元は近代文芸社

 あまり厚い本ではなく、文体・内容もそこそこレベルで、ベストセラーにはならずとも、風化しつつある大災害をいま一度啓発する意味でも、結構な話題をさらった。

 古書店からこの書籍を取り寄せたが、一晩で読み終えて抱いた感想は、こんなこともあったのか、渾身のルポを書き残したこの塚本という雑誌記者は、不本意な人生だったんだな、といったところ。なんでこう日本は、本当に才能に恵まれてすばらしい取材力のある人物を冷遇し、要領の良いつまらぬ人物が出世する仕組みになってるんだろうと思った。その一方で、三陸地方を襲った大津波の現場と状況を記録に残し、後世へ伝え、教訓とすることの大切さをあらためて知った。

 出版時、この本はマスコミにも紹介され、ある程度の話題を呼んだことは先に書いたが、とくに売れることもなく、膨大な情報の渦に飲みこまれ、書籍の大海原に沈んでいった。

 2008年に出版され、その3年後に再現する“大海嘯”――東日本大震災東北地方太平洋沖地震)には、なんの意味ももたらさなかったとは思いたくないが、テレビ・新聞の報道を目にして、途方もないやり切れなさと絶望感を感じているところである。

 陸前高田、ほぼ壊滅。

 陸前高田市と、となりの大船渡市は、6年前までオフィスがあった場所で、足かけ20年近くにわたって、月一回の定期的な出張に出かけていた。細かい住宅地も山間の集落もつぶさに歩いていたので、地元の人並みに地理と事情に詳しい自信があった。テレビで米崎町とか広田湾とか気仙町とか聞くたび、すぐさま脳裏に地形と光景が浮かんでくる。ヘリコプターからの映像を見ても、あれは国道45号だな、あれは気仙大橋だな、あれは高田松原だなとわかる。

 それが、泥とガレキの荒野に変わり果ててしまった。

 友だちや親戚はいないけれど、仕事や活動で世話になったひとが大勢いたのに。

 いまだに信じられない。これって現実なのか。なぜ、こうなってしまったのか。

 報道では、市民2万3000人のうち、約1万7000人と連絡がつかないと言っていた。行方不明者は二〜三百人とも言ってたが…。

 一つの小自治体の一万人以上が『大海嘯』に飲みこまれ、泥の海で息絶えてしまったのだろうか。訪問すればあたたかいもてなしをしてくれた気仙の人たちが、一瞬で海の藻屑と化してしまったのだろうか。

 『砂の城』で描かれているように、遺体の収容に漁具が使われ、生き残った人たちによって、まるで魚のように底引き網で死体が引き上げられるのだろうか。

 今朝はよく晴れている。おとといの悪夢がまぼろしだったかのように。

砂の城

砂の城