チベット弾圧を利用する人たち

 尊敬するルポライターの根深誠さんは、紀行文『風の瞑想ヒマラヤ』(中公文庫)の中で、チベットを旅行したとき、中国人のチベット人に対する差別感情の熾烈さを、自ら体験した出来事をつづって具体的に書いていました。その内容を要約すると――。

 中国人は、バスに乗り込むや、座席にいたチベット人に怒号を浴びせ、殴りつけんばかりに強引に追いたて、そのとばっちりを根深さんも喰らってしまい、ひどい目にあった、というもの。かなりリアルに書いていて、読んでいて中国人の陰険さに身の毛がよだつほど。

 一冊の紀行文のほんの1エピソードですが、中国人のチベット人に対する憎悪の深さを象徴する場面で、もっとも印象に残っている一幕でした。

 そこを読んだとき、なぜ中国人はチベット人をかくも嫌い、憎むのか、と素朴な疑問も抱きましたが、根深さんは旅行者としてかいま見たことを書いただけで、歴史的な背景などには触れておりません。私もとくに知ろうとは思わなかったけれど、まあすべてではないにせよ、中国人はえらくチベット人を嫌っているんだな、と漠然としたイメージを抱いたものでした。

風の冥想ヒマラヤ (中公文庫)

風の冥想ヒマラヤ (中公文庫)

 ときどき週刊誌に載る「中国政府によるチベット弾圧」ニュースを見るたび、これは個人レベルではなく、中国は国家ぐるみでチベットをいじめているのかと、まあ中国政府の悪しき覇権主義の表れだろうと勝手に自己解釈しておりました。覇権主義といえば元祖は欧州。アメリカ合州国はいまも超覇権主義国家だし、日本だってかつては東洋随一の覇権主義国家でしたっけ。

 さて、祖国日本はもとより、世界のマスコミを騒がせているチベット暴動ニュース。中国当局による、チベット自治区ラサでの反政府運動取り締まりに抗議した僧侶らを、中国政府は武装警官を投入して「弾圧」し、30人だかの死者を出したとか。死者30人て、暴動を鎮めた際の死者なのか、デモを弾圧した際の死者なのかよくわかりませんが、はたまた死者数が100人を超えているらしいというニュースもあり、情報が錯綜していて全体像が判明するまで、まだ時間を要するようですが、これが中国当局によるチベット弾圧であることは間違いないようです。

 これが祖国のニュースを飾ったとき、思いました。また中国政府を攻撃するネタにするんだな、と。だれがかといえば、中国政府を好ましく思わない方々が、です。週刊新潮とか文春なんかそうだし、産経もだし、国粋右翼系のミニコミもです。あとかなり多数を占める個人のブログ。

 「中国政府は非人道的だ、チベットを弾圧している。これだから共産党国家は怖い」――という図式です。

 これはまったくただしい見解です。私も同感。弾圧とは強者が弱者に対してする愚かな行為。中国政府のやっていることは明白な弾圧です。したがってすぐにでもやめさせなければなりません。

 で、先にあげた「中国政府を好ましく思わない」方々は、ここぞとばかりに中国共産党政府を非難・批判・糾弾するわけですが……。

 それ以上のことは、まず、やりません。

 「それ以上」とはなんでしょう?

 弾圧されているチベット自治区の人たちを救うことです。具体的に言えば、資金援助したり、問題提起の学習会を開いたり、チベット人指導者を招いて集会したり、個人でチベット語を教えたり勉強したり、それらの活動を紹介したりと、要するにチベット支援運動です。

 新潮・文春・産経ほか国粋右翼系のミニコミは、上に書いたこと、やってましたでしょうか。「フリー・チベット!」を叫んで中国政府を非難するのは大いに良いことですが、チベット人を救え、援助しよう、なんてキャンペーンしてましたでしょうか。

 やるわけないんですよね。彼らは中国政府の評判を落とすのが目的であって、チベット人がどうなろうとほとんど興味ないんだから。チベット弾圧」は中国政府を攻撃するネタでしかない。チベット人に対する思いやりやいたわりなど、存在しない。これがミソ。

 仮にチベット人救えキャンペーンするとしますが……外国の被弾圧者を救う前に、日本国内の弾圧の被害者はどうなるの?という問題が必ず発生します。日本政府が弾圧している対象とくれば、決まっていますね。新潮・文春・産経ほか国粋右翼系のミニコミが日ごろ目の敵にしている方々です。

 ここまで書けば、「チベット人に対する思いやりやいたわりなど、存在しない」という意味がわかるでしょう。

 では、チベット人に対する思いやり・いたわりを示す一例として、こんなのを紹介しましょう。アムネスティ・インターナショナル日本のチベットチームのサイトです。アムネスティ日本は、先に書いた「資金援助したり、問題提起の学習会を開いたり、チベット人指導者を招いて集会したり、個人でチベット語を教えたり勉強したり……」といったチベット支援運動を、ほぼすべて実行しています。

http://www.geocities.jp/aijptibet/index.html
http://www.jca.apc.org/fem/news/events/354.html

 ちなみに中国政府を熱心に非難するマスコミ・個人は、どちらかといえばアムネスティ・インターナショナルを嫌っているようです。これまた興味深い現象ですね。
 では先にあげた2リンクの下の方から、一部を引用します。

 アジアの真ん中に位置するチベットは、まちがいなく、世界で最も美しいところのひとつです。苦労しても訪れる価値は必ずあります。

 首都のラサを含めて、ほとんど富士山より標高が高く、人間が定住する限界といわれる高地で、ひとびとは生きています。平原には赤・黄・青の花々が咲き誇り、もっと高い所へ行くと、ここは月か火星かと見間違えるような荒涼とした風景が続き、そして5000m級の峠を越えると、雪を頂いた7000〜8000m級のヒマラヤの山々が目の前に迫ってきます。
 (中略)
 しかし、チベットでは、1950年の中国軍侵攻以来、120万以上の命が奪われました。いまも数千人の政治囚が拷問や強制労働に苦しんでいます。このことは、日本では報道されていません。
 (中略)
 チベット支援は、日本の市民運動の中でも、とてもとても小さな運動です。日本は、政府もマスコミも、中国政府に対してあまりに弱腰です。それは「先進諸国」の中でも際だっています。チベットの惨状は報道されていません。それに加えて、日本の旧来の市民運動の大勢が、「社会主義国の人権弾圧」に抗議することに消極的であったことは、否めないでしょう。

 「平原には赤・黄・青の花々が咲き誇り、もっと高い所へ行くと、ここは月か火星かと見間違えるような荒涼とした風景が続き…」という下りは、実際にチベットへ行ったことのある人でなければ書けません。「いまも数千人の政治囚が拷問や強制労働に苦しんでいます。このことは、日本では報道されていません」とは、心からチベット人の心情を肌で知る努力を重ねた人でなければ書けないでしょう。

 ここを先途と中国政府を批判し、同時に、中国政府におもねってる人(だれのことかな?)をこき下ろすといった、よくわからない行為にいそしむ方々は、チベット弾圧を中国批判のネタに利用するだけで、チベットの被弾圧者をいかに救うか、具体的な行動を示してはくれません。
 中国政府にしてみれば、国策としてやっているチベット弾圧に対し国際社会から人権蹂躙だと非難を浴びせられようと、そんなのはとっくのとうに織り込み済み。いくらでも情報統制できるし、取材も調査も規制・阻止できる。どうぞ叩いてください、痛くも痒くもない。非難が怖くて弾圧できるか、と。中国政府にとって怖いのは国際社会がチベット支援に回ることですが、どこか国としてチベット支援をしてたとこ、ありましたでしょうか?

 国際社会は案外冷たいようです。それではよくないと思うので、どうかチベット支援に力を分けてやっていただきたいです。たとえばアムネスティ日本の集会に参加するとか。参加できないならせめて募金するとか。募金できないならせめてHPにリンク貼るとか。

 その方がチベット人は、確実に喜んでくれるでしょうから。