続・チベット弾圧を利用する人たち

 前回の日記で、根深さんの著作『風の瞑想ヒマラヤ』を紹介しながら、中国人はチベット人を嫌っている、なんてことを書いたが、正しくは「中国人は、チベット人を嫌っている」であった。中国人といっても多民族国家だから、100%というわけではもちろんない。チベット人を嫌っているのは漢民族、ということであった。

 しかしこう書くと、チベット人が一方的に嫌われているとも受け取られかねない。チベット人にしてみれば漢民族を、これまた蛇蝎のように嫌っているのである。チベット人漢民族、双方いがみ合い、憎しみ合っているのであろう。その溝はいつ、どこから、どういう経緯で発生したのか。問題の根は深そう。どこかわかりやすく解説してくれるサイトでもあればご教示願いたいところである。

 拙ブログにトラックバックくださったsutehunさんのところでも簡単に触れていたが、国内に異民族を抱え、その勢力が時の政権にとって脅威となれば、政権がこれを弾圧に乗り出す例は、決して中国だけの話ではない。ロシアのチェチェンなどはその代表格。共産国家だの非民主国家だのといった前提・体制のいかんにかかわらず、弾圧は存在する。

 わが祖国・日本にも弾圧は存在する。考えようによっては中国・ロシアよりもタチが悪いかもしれない。

 政権にとって「脅威」にすらならない小さな小さな市民運動を、警察・検察・裁判所こぞって弾圧にかかるのだ。自衛官官舎のポストにチラシを入れる目的で進入した3名の活動家を、警察は逮捕し、パソコンを押収した。現行犯ではなく令状でだ。たったひとりの反戦運動家を、日本の警察は170人も動員し、半年もかけて尾行し、千何百万だかの税金を投じた上で、逮捕した。いずれも検察は起訴し、裁判所は有罪を下す。

 武装警察など必要ない。親分の自民党政権がお望みのことを、子飼いの役人は以心伝心でやってのける。逮捕・起訴・有罪判決にかかわった役人らは、確実に出世するだろう。進歩的とされるマスコミも、社説で「おかしいのでは」と触れただけでそれ以上立ち入らず、それきりにしてしまう。これを多数の国民は支持している。

 日本政府による弾圧は、このようにして“平和裏”に行われ、締めくくられる。それでも国民はおかしいと思わない。

 不思議な民主国家である。