八峰町の白神山地はスギ植林地
島根県の石見銀山がユネスコの世界遺産に登録されることが決まったとの報道で、わが秋田の白神山地が1993年に、日本で最初の世界遺産に登録されたときのことを思い出した。
秋田・青森にまたがる白神山地は、もともとただの深山。これといった高峰も秀峰もなく、ただ深いだけのブナ原始林がひろがるマタギの山だった。
そこへ秋田県八森町(現・八峰町)の業者が、県境をへだてた青森県側(鯵ヶ沢町)の国有林に手付かずのブナ原生林があるのに目をつけ、地元の政治家を炊きつけてブナ材略奪をもくろんだのだ。秋田県側にもむろんブナは生息していたが、多くは民有林で、県境までほとんど伐りつくし、ハゲ山状態になっていた。
「おらほ(八森町)さは、もう伐るブナはねぇが、青森の方さなば、まだブナがいっぺ有る。あれどごそっくり頂ぐべ」
こうして青秋林道の建設が決まったのだ。
青森・秋田両県で、反対運動が起こった。しかし当時は、いわゆる自然保護運動はまだ市民権を得ておらず、「自然を守れ」「動物の住みかを荒らすな」と言うだけの、情緒的な運動としか認識されていないのが、一般的な見方であった。
だが、全国紙で青秋林道建設問題が報道されるようになると、状況が一変してゆく。
『朝日新聞』に本多勝一記者のルポが発表され、国会でも取りあげられるようになると、全国から反対の声が上がり、青秋林道反対運動が全国規模で展開されてゆく。林野庁もうかつに国有林に踏み込めなくなってしまった(朝日文庫『日本環境報告』所収)。
北村正哉・青森県知事が政治判断を下し、青秋林道凍結の方針が打ち出されると、青森県議会も足並みをそろえ、青秋林道を何が何でも造りたい秋田県側の政治家や業者を暗に批判するようになる。青秋林道は秋田の業者にとってはまことに美味しいシノギだが、青森県にとっては迷惑林道でしかないのだから当然だ。
「白神山地の保安林解除に反対する異議意見書」(つまり青秋林道凍結を求める意見書)というのがある。この提出数の多さが青森県知事を動かしたといわれるが、八森町でこの意見書を提出したのは、わずか2名であった(奥村清明著『「白神山地」ものがたり』無明舎)。この事実は後世に伝え遺すべきあろう。
ついでに書くと、八森町にもあった青秋林道反対運動は、地元で猛烈な弾圧にあい、リーダーの秋田さんは入院に追い込まれ、事実上つぶされてしまった。戦前の話ではなく、ほんの20年ほど前のことである(鎌田孝一著『白神山地を守るために』白水社)。
1989年4月、林野庁は白神山地を森林生態系保護地域に指定。こうして青秋林道は中止が決まった。
日本自然保護協会より、白神山地をユネスコの世界自然遺産に批准する提案が出され、住民・自然保護団体・地元自治体・関係省庁が協議を重ねる。
そして1993年、白神山地は日本初の世界遺産登録が決まった。
*
秋田県民でありながら、白神山地とは距離が離れすぎているため、私にとっては白神は異国の山とさして変わらないけれど、世界遺産というブランドを手にした郷里の山というものを一度見てみたくて、1998年8月に白神山地へ行ってみた。青森県の西目屋村へ。
菅江真澄も訪れたという暗門の滝まで歩くと、そこから奥が世界遺産地域。沢登りや登山の用意はしていなかったのでそこで引き返したが、わずかでも白神に触れられただけで満足であった。ただ、そこから沿岸部まで、いわゆる「白神ライン」を車で走ったところ、とにかく広い…と辟易した。砂利道だったこともあるが、お世辞にもドライブコースにはならない。なにしろ広大なんてものじゃない山塊だ。
沿岸に出て国道101号を南下し、秋田県側に入って、八森町から例の「青秋林道」を行く。
青秋林道は中止になったけれど、それは青森県での話。秋田県側は県境まで開通しているのだ。それも全面舗装されて。
ふざけてる、と思った。八森町にはブナ原生林なんて、存在しない。あっても部分的なスポット。標高が高くなるにつれ、ハゲ山が広がる。そこに植えられているのはスギだ。スギ植林地に大きな木柱が立っていて、「世界遺産白神山地」と刻まれているのだ。なんの冗談だろう。
林道も終点が近づくと、尾根が見えてくる。尾根の向こうは見事なブナの森。つまり青森県側だ。尾根のこちら側、秋田県側はといえば、ハゲ山にスギ。貧相なスギ。整然とスギ。
笑える光景であった。同時に吐き気も覚えた。
八森町が世界遺産に一畳たりとも登録されていない理由を、いやというほど思い知らされた。
八森町にある「ぶなっこランド」へ入館し、まだ若かった私は、訪問者ノートにこう書いておいた。
「ヘドが出ます」「林道建設に反対した秋田豊さんという方にアナタ方は何をしましたか」「スギに囲まれたぶなっこランドってなんですか」
壊した原生林は、数百年かけなければもとに戻らない。八森町のスギ人工林は、それが存在する限り、郷土の最悪を象徴する。腐った人間が、郷里の自然をああしたのだ、と。
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