安倍晋三サン万歳!

 盛岡のネットカフェです。ここに来る前にコンビニに立ち寄って『週刊現代』を求め,それを手元においてノートを書いています。『現代』のスクープ「決定的写真だ! 『ポスト小泉』No.1議員の二枚舌交渉を暴く! 安倍晋三北朝鮮との裏外交』」(同紙表紙見出しから)を読みながら,終わりが近づいた東北の夏の夕暮れどきを過ごしているところです。

 このブログをつくる前にもっていたHPノートで,私は安倍晋三という政治家を,当人のルーツからその日和見主義的態度を論じました。他人の血筋をさぐるなんてお世辞にも上品とはいえませんが,安倍サンのご先祖さまが東北にゆかりがあるらしいのと,あの一文はもう見られないので,ここにまた簡単に書いておきます。

 前九年の役。西暦1051年ころの東北はいまの岩手で,一般には安倍貞任戦死までの戦乱を称します。

 ごくごく簡単に説明しましょう。朝廷の意を受けた源頼義は,蝦夷安倍氏を滅ぼすため,安倍貞任征伐に繰り出します。知略に長け民衆に支えられた安倍はまっこうから抵抗するものの,蝦夷仲間でもある出羽仙北(秋田)の清原光頼に源軍に立たれたこともあり(「夷をもって夷を制す」というヤツね),敗走に敗走を重ね,1062年厨川(盛岡市北部)にて戦死します。古代東北の地に一時代を築いた安倍家の滅亡です。

 このとき安倍家の血筋には貞任の弟・宗任(むねとう)がいます。宗任は処刑ではなく島流しにされたのですが,穏健派で頭のキレる宗任の才能に目をつけた源頼義が彼を救ったのです。「救われた側」である宗任は,親兄弟のカタキである源の軍門にあっさり下り,朝廷の手足となって活躍するにおよびます(ここはちょい主観)。

 こうして生き残った宗任の末裔は現在,日本政界の中枢に存在します。

 そう,安倍晋三サンです。安倍サンの祖先はれっきとした蝦夷だったのです。はっきりとした根拠はないそうですが。

 自分の親(頼時)や兄(貞任)を殺したにっくき源頼義に命を救われたばかりか,その手先となって働くさまは誇り高き蝦夷としてのプライドも矜持もまったく持ち合わせていない,まさしく日和見楽天家としか形容できないと私は旧HPで書いたのです。

 むろん平安期の蝦夷は,アテルイのころののんびりとした文化・風土がまだかなり残っていて,朝廷の支配下にあって恭順を示したとはいえ,異民族のほしいままにしておいてはムカツクと思った朝廷の,狡猾で汚い陥穽があちこちに仕掛けられては滅亡もやむなしという側面も無視できませんが,ともあれ蝦夷は,岩手にあたってはこうして滅び去ったわけです。まあこのあと後三年の役が起こって秋田の蝦夷清原氏)も,おなじように朝廷の周到な罠にかかって滅んだわけですが。

 いずれにしても安倍サンは祖先のこうした史実をどう認識していらっしゃるのか,機会があったらうかがってみたいところですね。ちなみに岩手の代議士・小沢一郎サンは,ご自身の祖先を「俘囚(ふしゅう)」としっかり認識しておられ,朝廷によって不本意な処遇を受け滅ぼされた「侵略された側」としての立場を基本理念に抱いていらっしゃることを,ある週刊誌のインタビューで知りました。

 さて『週刊現代』です。川村ひかるの裸身はいいですね。いやちがうって,安倍晋三サンでした。くだんの「スクープ」を要約するとこうなります(敬称略)。

 安倍は中国在住の朝鮮族の実力者・崔秀鎮を仲介に北朝鮮との接触を極秘裏に進めていた。その内容を見出しで表すならこんな感じ。

 北朝鮮代理人への巨額貸し出し保証/「経済制裁には同意していない」/「北朝鮮に対する本気でない発言と行動について謝罪します」と二枚舌

 『現代』から引用しましょう。

 「外交に駆け引きは付きものだ。普段とは逆の言動で相手の出方をうかがうこともあるだろう。しかしファイルの中で安倍サイドは,拉致問題をカードに使い,しかも真の解決を目指さず北朝鮮と手打ちするとも取れる発言をしている。これは拉致被害者とその家族への重大な背信行為ではないのか。そのうえ,安倍はこの“外交”に失敗し,何ら成果を得られなかったのだ。」

 同紙では『朝日新聞』が報じた従軍慰安婦民衆法廷「NHK番組改編」問題にからんでNHKに対する政治的圧力の真否にも触れています。「安倍という政治家の情けなさは,取材が自らの政治活動の深部に触れたり,都合が悪いと頬被りしたりする姿勢にある」(同紙)。いやいや頬被りは安倍サンの基本理念なんです。これが安倍宗任いらいつづいている,安倍一族の「姿勢」なんですって。どこに矛盾がありますか? 安倍サンとはこういう人なんです。

 さて私は旧ノートでこう断じました。「安倍サンほど日本の総理にふさわしい人はいない」と。こんどの選挙で与党が勝てば小泉連立政権は維持,負ければ下野ですか。いずれにせよ安倍サンが宰相になられる日は近い?