検察審査会が創りあげた冤罪

記憶の闇―甲山事件〈1974→1984〉

記憶の闇―甲山事件〈1974→1984〉

 名前くらいしか知らなかった甲山事件に関する本を、あの故・松下竜一さんが書いていたのを最近知ったので、取り寄せて読んでみた。『砦に拠る』で寒気を覚えた筆力・文体で、日本の裁判史上に残る大冤罪が、いかにしてでっち上げられたか、かなり詳細に知ることができた。

 なぜいまどき甲山事件かと言うと、先に“強制起訴”が決まった小沢一郎・前幹事長を法廷に引きずり出すことになった、かの検察審査会という「市民代表」に疑問を感じたからだ。甲山事件にも検察審査会が大きく関わっているのである。

 市民感覚を裁判に活かそうという錦の御旗は、必ずしもカラフルな「錦」ではなく、予断・思い込み・早とちりに、歪んだ正義感がない交ぜになって、あたかもさまざまな絵の具をごちゃ混ぜにして出来た毒々しい色の、得体のしれぬ御旗ではないか、と。

 甲山事件は、ちょっと調べればすぐわかるが、証拠不十分で不起訴になったのを、検察審査会が「不起訴不当」を決議したばかりに、裁判史と検察審査会の最悪の汚点として語り継がれる大冤罪となった。当時の検察審査会は、「市民感覚」の元に世紀の大冤罪を創りだした戦犯なのだが、メンバーはいま、どう思っているのやら。

 本書『記憶の闇』では、検察審査会についてはわずかしか触れていないけれど、審査会が審問した関係者は検察側関係者だけという、いまも問題視されている片手落ちの審査だったことが挙げられている。小沢強制起訴においても、審査会は小沢氏側から一切の聴取も弁明も受けておらず、検察が創りあげたシナリオにそった決議であることが、多くの識者に指摘されているから、この仕組みは30年も変わっていないことになる。

 それにしても甲山事件は、報道されない裏面を見るに、検察側の悪質・巧妙さが実に際立った事件で、なおかつ検察・警察発表をうのみにしたマスコミの破廉恥ぶりや、被害者家族の想像力の無さは、まさに絶望的であった。

 小沢強制起訴を決議した検察審査会メンバーの平均年齢は30.90歳と報じられ、その若さが話題になっていたけど、つい先日33.91歳と訂正され、さらに34.55歳と再訂正された。「逸脱行為」といい、よくわからない審査会である。