限界集落 → ローカルコミュニティーエリア
「限界集落」を「ローカルコミュニティーエリア」と言い換えては、という提案が、秋田県議会の2月定例会で出されたそうな(朝日新聞秋田版)。
提案した議員によれば「限界とは何事だ」という声があるのでは、ということ。同議員は「横文字を使って元気が出るような名称にして頂ければ、雪深い県境から出てきた私も勇気づけられる」と話している。
横文字ですか。和製英語ってやつですな。
東北秋田のド田舎の、コテコテの秋田弁が飛び交う70〜80歳代のお年寄りばかりの集落に、秋田弁どころか日本語ですらない、イングランドの言葉をあてるんですか。それで「元気が出る」というのですか。
里帰りしたお孫さんが言いました。
孫「おじいちゃん、ここってローカルコミュニティーエリアって言うんだよね」
祖父「あ? ろおかる…なぇでが?」
孫「ローカル、コミュニティー、エリア!」
祖父「ははは、さっぱりわがんねは」
孫「…おじいちゃんの言ってることわかんない」
祖父母が孫と言葉が通じない悲劇は、すでにあちこちで起こっている。
孫は田舎へ行くことに楽しみを見いだせなくなり、祖父母も孫を迎える意欲が失せる。行っても、来られても、言葉が通じないからだ。したがって集落は、ますます人が寄り付かなくなる。
それで某議員は、「ローカルコミュニティーエリア」で元気を出してもらおうと言うのだ。
祖国の言語、郷里の方言は、こうして隅に追いやられ、廃れてゆく。
秋田弁。古くは夷語と呼ばれ、縄文時代から数千年にわたって受け継がれてきた一つの言語が消滅してゆく様子を、私はこうして観察している。
(後日編集するかも)