NHK「ダムをやめた町」

 今月28日夜放送のNHKニュースウォッチ9で、「“ダムをやめた町”が残した教訓」というのを興味深く見た。鳥取県の三朝町に計画していた「中部ダム」の建設を、当時の片山知事が中止を決断し、住民への補償といった後始末をきっちり行ったという、いま大きな論争となっている八ッ場ダム問題を収束へ導くためのヒントとなる「前例」を示してくれた。

 うちとこのリーダーが、関連するリンクを教えてくれたので、ここに全文貼り付けます。

ダム中止で鳥取県が地元住民に“補償”
 鳥取県が県中央部の三朝町に建設を予定していた中部ダムの中止に伴う補償について、県と地元住民の合意が成立した。県が総事業費168億円に及ぶ地域振興計画を提示し、地元住民が受け入れた。行政が地元住民に実質的な補償をするのは全国で初めて。構造改革を掲げる小泉純一郎政権下で公共事業の中止は今後も相次ぎそうだが、中止に伴う住民補償に関する法的な規定はない。「いったん動き出したら止まらない」との批判を受ける公共事業の中止を円滑に進めるためにも、補償ルールの整備が急がれる。
 1999年4月に就任した片山善博知事が治水、利水両面で効果が期待できないとして中部ダム建設の中止を決断した。計画を精査した結果、下流域の自治体に水需要がなくなっていたうえ、治水に関しても河川改修の方がダム建設よりもはるかに安い費用で実現できることが分かったためだ。
 これまで県は「ダム建設の方が費用は安い」と強調していたが、実際には河川改修費用を過大に見積もったうえ、ダム建設費用を100億円近く少なく説明していた。片山知事が「今ならば間違った説明をしたことに関して責任を追及しないが、将来、嘘が明らかになれば責任を問う」と担当職員に迫ったところ、こうした事実を認めた。
 地元住民は間違った説明をもとに、移転を迫られていたのだ。当初計画によると、2つの集落に位置する22世帯がダム建設で水没する予定だった。水没予定地に住む坂西勝氏(63歳)は「小学生の頃からダム計画の噂を聞いていて、生涯、ダム計画に振り回された」と話す。それだけに、唐突なダム建設計画の中止に戸惑いを隠せない。

●手厚い地域振興計画を提示

 ダム建設計画が公式に浮上してから27年間が経過している。水没予定地に位置する地区は、様々な不便を強いられてきた。水田を利用しやすくするための圃場整備、1車線道路の2車線化、公民館の建て替え、どれを取っても行政が予算を認めることはなかった。さらに、地元住民も「どうせ水没するのならば」と考えて、自宅の建て替えを断念した。坂西さんの自宅も築200年でありながら、本格的な改修を見送ってきた。
 地元住民は失われた27年間に対して、1戸当たり2700万円の個人補償を県に要望。これに対して、県は一連の地域振興計画を提示した。県民から見れば多額の税金をつぎ込むだけに批判も出そうだが、「水面下で協議するのではなく、地元住民の要望も県側の対案もすべて公表して議論を進めたので、合意に至った時点で優遇しすぎだとの批判を県民から受けることはなかった」(片山知事)という。県は個人に補償をするだけでは、地元住民が他地域に移転してしまうとの危惧を持っていた。
 通常、地元住民に立ち退きを迫る場合には補償金を支払うが、公共事業を中止する場合に補償する規定はない。長期間振り回されたにもかかわらず、地元住民に対して何ら金銭的補償がないことはかねて問題になっていた。将来中止になるような事業を計画しないことはもちろんだが、中止に伴う補償ルールの整備も緊急の課題として浮上してきた。(山口 雅司、篠原 匡)
http://www.nikkeibp.co.jp/archives/135/135868.html

 八ッ場ダムも川辺川ダムも、国交省は断固中止を明言している。でも、ダムに長年にわたってかき回された地元自治体や、水没予定地周辺住民たちのケア・補償はなおざりにされているのが実情。前原国交大臣はこれから法整備にかかるというし、それは当然のことだと思うけれど、比較的小規模の中部ダムでも半年以上の時間を要した。ことに八ッ場も川辺川も、住民たちの猛烈な反対運動を過去にもち、政財官+子飼い地元有力者による執拗な切り崩しにあい、涙を飲んでふるさとを明け渡した住民たちの怨念が渦巻いている。

 長々と続いた自民党政権の腐敗遺産。まさに尻拭いとはいえ、これを払拭し、信頼を得るのは並大抵のとこではない。でもやらなければならない。今後に注目させてもらいます。