ある車椅子の少女の今後

発端

 はてなリングに「歴史修正主義に反対します」というのがあって、アイコンは非表示だけれども私も参加している。最近は書かなくなったが(もう書くことはないと思う)、日本を戦前戦中に近い状態へ戻そうという意見を批判したこともあった。

 そのリングに加入しているはてなユーザーのうち、たまたまのぞいたid:Stiffmuscleさんというところのブログで、あるテーマで書き込んだ内容が異様に盛り上がっているのを知った。コメント数150件超。ぶっちゃけ、炎上しているのであった。

 どういう内容かというと、身体が不自由な奈良の中1の少女が、公立中への入学を、町教委に断られたことが発端になったエントリーであった。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20090703

 かいつまんでいうとこういう経緯。

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 この3月に小学校を卒業した少女は、脳性マヒにより半身が不自由で、車椅子生活を余儀なくされている。周辺や同級生の理解と支えにより、小学校は普通学校を卒業できたが、中学は地元に近い養護学校を進められ、そこに在籍していたものの、少女は公立中への進学をかねてから希望していた。

 町教委は、仕切りなし(バリアフリー)設備が整っていないことや、町の財政が厳しいことを理由に、これを認めず、養護学校へ進学するように伝えていた。少女は養護学校入学を拒否、公立中への進学を認めてもらおうと、町を相手取って訴訟を起こした。

 奈良地裁は、少女の訴えを認める仮決定を出した。少女の希望はひとまず叶えられた格好になったが、町はこの決定を不服として、高裁に即時抗告をした。
http://mainichi.jp/area/nara/news/20090627ddlk29040672000c.html
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 女の子が公立中への進学を希望する理由は、小学校の友だちと離れたくないから、というもの。知能に遅れや障害はないという。

 実はこの問題、明るみになったころから注目していたが、デリケートな問題であり、個人的に語るのは気が引けていたので、報道を見るだけにとどめていた。でも、身体障害は私たちにとって、決して他人事ではない。いまは健常者であっても、家族や自分がいつ、事故で体が不自由になるかわからないのだ。少女の背負ったハンデは、そのままそっくり、いつ私たちに降りかかってきても不思議ではない。

 日本は、医療は世界トップクラスに発達しているけれど、ヒトをめぐる環境=福祉はどうだろうか。日本にもたくさんいる身体・知的障害者は、日本に住んでいて、幸せであろうか。それを知るには当人に聞いてみればよいのだが、もっと具体的に知るには、自分自身が障害者になってみればよい。でも進んで障害者になる人はいない。体や心に障害を負う人をめぐって、日本の社会の縮図を見ることにつながるかもしれないので、くだんの女の子を中心に、この問題について書いてみようと思う。

理想と現実

 体や心に障害があろうとなかろうと、だれでもみな同じ社会で一緒に暮らすことができれば、それが一番よいに決まっている。同じ家、同じ地域、同じ学校、同じ職場、同じレストラン、同じ映画館、同じ図書館、同じ電車、同じデパートetc…そうした場所場所にて、ともに同じ時間を共有することが、あるべき先進国の姿であることは、だれでも知っている。

 ただ、現実的でないのが現状である。

 歩くにも、話すにも、聞くにも、味わうにも、障害者と健常者のそれとは、違う。

 障害者が健常者に合わせることが不可能でも、健常者が障害者に合わせることなら可能である。

 奈良の女の子の“主題”が「学校」なら、かつて日本は、障害者も健常者も同じ学校に通っていた。

 体の不自由な子どもは、健康な子どもに背負ってもらったり手を引いてもらったりして、当たり前に小中学校に通っていた。健常者も障害者も、かつては“平等”であったのだ。

 それが変わったのは1979年4月。養護学校の義務化である。都道府県が養護学校を設け、障害を負う子を持つ親は、子どもをそこへ入学させることが決まったのだ(義務化とはいっても、親の希望で普通学校へ入学させることはある程度可能。私の母校にも軽度小児マヒや知恵遅れの子がいた)。

 これにより、障害児と健常児が同じ学校や地域で、一緒に過ごすことはなくなった。両者は事実上、分離された。

 奈良の女の子の場合、知能にハンデはないのだから、中学校の学業についていけないということはなさそう。ただ、ひとつ気がかりなのは、小学校と中学校とはまるで違うということ。女の子が公立普通中学校へ進学を希望する動機は「小学校の友だちと離れたくないから」だそうだが、小学校時代のノリで中学でもやっていけると思っているのだとしたら、大きな思い違いと言わざるをえない。

 無邪気な小学校時代は、先生にどやされたり友達とふざけあったりして、のどかでおおらかな日々を過ごせたと思う。だが、12歳から15歳を生きる中学校時代の、心と体の成長ぶりは目覚しいものがある。だれでも経験していることだが。

多感な時期

 小学校のころ一緒に遊んだ友だちは、背が伸び、スタイルも見違えるほど大人びてゆく。新しい友だちをたくさんつくる。好きな男子もできる。部活で活躍するようになる。

 おしゃれに興味をもち、髪を薄く染めたり、男子とメールしたり、嫌いな先生の悪口を言い合ったりする。放課後に友だちや先輩とカラオケへ行ったり、プリクラを撮ったり、イケメンにナンパされたりする。メディアやCDを貸し合ったり、雑誌やサイトを教え合ったりする。

 休日には遠くの友だちの家へ遊びに行くようになる。あこがれの先輩にバレンタインのチョコレートを渡したり、意中の男子とデートへ行くようになる。夏休みには小旅行へ出かけるかもしれない。恋人と別れて泣いたり、新たな恋人が出来れば、さらに自分に磨きがかかるだろう。

 目標があれば、それに向かって真剣に進んでいく度量も養われる。挫折して落ち込めば、立ち直るきっかけを別の友だちに与えられ、仲間同士で支え合う構図を形成し、まもなく大人になるための社会性が培われる。

 こうしてざっと書くだけでも、中学生が学校で勉強以外に学ぶことは、想像以上に多く、大きい。

 一方、車椅子の女の子は、かつて無邪気に遊びあった友だちが、どんどんきれいになり、成長していくさまを目の当たりにする。

 ある日、女の子は思う。自分は果たして、あんなふうに、きれいにおしゃれにカッコよく、成長しているのだろうか――と。

 勉強はしている。先生の質問にも答えられる。おしゃれだって、髪を染めたりお化粧したりネイル塗ったり、友だちとメールすることは出来る。でも放課後のカラオケやデートが、車椅子の女の子に可能だろうか。友だちに混じって大人の介助員を引き連れて?

 友だちが、あたしをカラオケに連れていってくれた。あたしの車椅子を押してあげるよって。
 途中、友だちがちょっと離れたら、その子、どこかの男の子に声かけられてた。
 ナンパされてるんだ。顔赤くしちゃってさ。チラチラあたしのこと見てるけど、男の子ったら友だちに夢中で、あたしに気づかないんだ。
 友だち言ったみたい。あたしがいるから無理って。男の子、あたしに気づいたら、さっさといなくなった。
 友だちが戻ってきて、ナンパヤローの悪口言いたい放題なんだ。キモイだのウザイだの。
 ふん、うれしいくせに。

 介助員に車椅子を押され、親切な同級生や学校職員に移動を手伝われながら、彼女は自分の背負ったハンデの重さに、現実と限界を思い知りはしないだろうか。

 きょうは日曜日。いい天気。仲良しの友だちはデートだ。いまごろ彼氏と買い物だろうか、それとも映画かな。夕方には公園でおしゃべりするのかな。暗くなる前には帰らなくちゃ親に怒られるよね。別れぎわにキスなんかするんだろうな。メールしてみようかな。でも邪魔しちゃ悪いよね…。
 あたしにも、なんとなく気になる男子がいる。でも自分をアピールするのってどうすればいいの。介助員に相談したいけど、変なカオされた。
 友だちにも打ち明けたい。でもあの子、最近口を利いてくれない。小学校のころはあんなに仲良く遊んだのに。別の子にも話しかけたいんだけど、なかなかきっかけがない。
 この車椅子がうざったい。あたしも自分で歩いて買い物したり映画見に行きたいな。カッコいい男のひとにナンパされちゃったりしてさ。
 でも無理だし。

 思春期を迎え、多感で繊細な時期を過ごした人なら、だれでも経験のあることだ。障害の有無は関係ない。だが、自分の現実を突きつけられたとき、少女はそれを乗り越える力を、自分自身の力で掴み取らなければならない。学校では、そんなことは教えてくれないし、友だちや彼氏を斡旋してくれるはずもないのだから。

美談の影で

 女の子が公立中学校への入学を認められれば、それは心温まるニュースとして報じられる。事実、ハンデを背負いながら健気に生きる少女の美談が、全国へ報道されている。

 その影で、少女の今後や周囲の本音が、かき消されている。

 養護学校のあり方、福祉のあり方、障害者を取り巻く現実――。

 いまは見守るしかない。