いまさらながら「派遣村」に思う

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

 先週9日に東京へ向かう新幹線の車内で読んだ。昨年暮れから正月にかけて、東京都内の日比谷公園で開村した「年越し派遣村」の村長・湯浅誠さんの著作。湯浅さんは以前から『週刊金曜日』にもよく寄稿していたから名前は知っていたが、ワーキング・プア(働いているのに極貧)やホームレス(野宿者)の支援を行っている中心人物かな、と漠然と思っていた。

 それが、このほどの「年越し派遣村」で一気に知名度があがったような感じ。年始のテレビ番組では「派遣村」の風景が映し出されていて、途方にくれて静岡から這うようにして歩いてきた人や、埼玉からほとんど一文なしで、すがる思いで日比谷へたどり着いた人などの悲喜こもごもを、興味深く見ていた。

 派遣村はもう閉村したようだからこの話題はとっくに過去ログ入りだろうけれど、本書『反貧困――「すべり台社会」からの脱出』は、「派遣村」の光景をブラウン管を通して見るのに併せて、いくつかの感慨と不条理を思い起こさせるのであった。

 「年越し派遣村」の開設と、その意義については書くまでもない。湯浅さんや宇都宮健児弁護士という支柱の存在はもとより、ほとんど手弁当で参加したボランティアたちには頭が下がる思いである。1600人超が駆けつけたという彼・彼女らの献身的な活動があってこそ、派遣村はあれだけマスコミの注目を集め、共感を広げ、多くの識者に認められたのであろう。都内の公園、寒い戸外に大勢の人が集まれば、流感に罹る恐れもある。でかいマスクをかけて村民に炊き出しのお雑煮を配るボランティアこそが主役であろう。参加者の何人かは救急車で搬送されたとも聞く。失うものがなくても、頼るものがない人間は強そうでくじけやすく、弱い。強さを保ちつつ、弱い部分を補ってあげようという姿勢は、だれも否定できまい。「派遣村」はいまの社会に必要だから作られたのだ。

 年末年始、派遣先から解雇されて行くあてのない元派遣社員らが集まった数は、約500人。これを多いとみるか、少ないとみるか。多い(または少ない)とすれば、それは喜ばしいことなのか、まずいことなのか。お祭りなら人出が多いほど良いに決まってるけれど、「派遣村」は一種の避難所であって、お祭り会場ではない。

 場所は東京都心である。大勢の人が集まって当然だ。地方とはちがう。ましてや過疎化のすすむ東北の田舎とは雲泥の差だろう。

 すべては東京発。情報・活動・対策・解決、すべて東京発。派遣村は東京以外、どこの地域にも場所にも開村しなかった。かりに全国から集まるとすれば、500人が5000人に膨れあがることだろうが、東京以外の大阪にも名古屋にも札幌にも、こういうシェルターは設けられなかった。派遣村へ行けなかった地方の元派遣社員は、年の瀬を無事、生き延びることができただろうか。

 モザイクごしに雑煮を食む年配の元派遣社員を見ながら、この人の背後には何千・何百という切羽詰まった求職者がいるのだが――という思いに、ふと囚われるのだった。しかし、マスコミもきっと優遇したつもりであろう派遣村の模様を報じる番組に、救いの手が届かない全国の元派遣社員の窮状・救済を訴えるものは、私の見た中では無かったようだ。

 本書『反貧困――「すべり台社会」からの脱出』は、全国であすの糧にも困る求職者を、「セーフティネット」(安全網)の構築・充実・周知徹底を中心に、いかに仕事へ復帰させ、誇りを持たせ、社会の一員へと戻させるか、その理念とプロセスがわかりやすく書かれている。併せて、自由民主党公明党が牛耳るわが祖国の政治が、いかに大資本を優遇し、末端労働者を虐待するものであるか、その巧妙な仕組みに気づかさせてもくれる。

 最後に著者・湯浅さんの言葉をひとつだけ引いてみる。

 セーフティネットの張り直しも、どうせ無駄と言ってしまえば、そこで話は終わる。無駄でないと言い切る根拠はない。商品を作っても売れないことがあるように、活動しても変わらないということはある。発売当時さっぱり売れなかった商品が、五年後一〇年後に爆発的に売れるかもしれないし、いつまで経っても売れないかもしれない。私がこれから述べる活動も同じだ。しかし何もしなければ変わらない。これだけは間違いない。
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