やはり出来レース

 ヒトラーが裸足で逃げ出し、フセインが呆気にとられ、かの国の“将軍様”さえも苦笑するようなトンデモ論文とくれば、いま話題の「田母神論文」です。その稚拙さと厚顔無知と抱腹絶倒ぶりが充満する内容は、当初からいろんな識者やメディアや個人ブロガーさんが論じていますので、いまさらあげつらう必要はないでしょう。

 安倍晋三・元総理大臣が任命した航空自衛隊の“将軍様”たる田母神俊雄氏の名を、一躍著名人に仕上げた立役者は、ホテルチェーンのアパグループ元谷外志雄代表であることももはや周知。いわゆる「アパ懸賞論文」で、「真の近代史観」論文を公募したさいに、田母神幕僚長の論文が最優秀賞を受賞したのがことの発端なわけですが、この受賞劇、どうも出来レース(やらせ)ではないかという憶測が以前からささやかれていました。その疑惑が濃厚となってきたことを示すニュースが、今朝の『朝日新聞』一面に載っていましたので、ごく簡単に要約しておきます。

 「アパ懸賞論文」の審査の不透明さが、複数の審査委員の証言で明らかになり、元谷代表は当初から田母神氏が応募してきたことを知りうる立場で、審査に加わっていたことがわかった。元谷代表は審査メンバーの中で唯一、田母神氏の論文に最高点を付けていたという。他のメンバーは、応募数から絞り込まれた25作品に目を通すまでは、応募者の名や職業は知らされていなかったという。
(記事本文はhttp://www.asahi.com/national/update/1201/OSK200811300062.html

 これは引用ではなく要約です。つまりアパグループ元谷外志雄代表は、はじめから審査に加わって田母神論文に最高点をつけて、賞金300万円を進呈するつもりだったわけです。その腹があったわけです。あの受賞直後の政府による更迭騒ぎの裏では、『週刊新潮』といった保守系メディアでさえ「『アパ夫婦』の異様な関係」(2008年11月20日号)などと怪しげに報じていたのも意外な感じがしましたが、審査員に元谷代表が加わっていたのでは、出来レースであることは否定できないといってよいでしょう。

 見え透いた出来レースの審査劇でもって、ヤラセ色を薄めるべく動員されたカモフラージュ役の面々も、記事でははっきり明記されているので、ここに紹介しておこうと思います。

審査委員の顔ぶれ
 ◎渡部昇一氏(上智大名誉教授)
 ▽小松崎和夫氏(報知新聞社長)
 ▽花岡信昭氏(産経新聞客員編集委員
 ▽山本秀一氏(中山泰秀衆議院議員秘書)
(◎は審査委員長)

 この4名の方々のコメントも抄録します。

 「『月刊WiLL』に書いた拙文がすべて」渡部昇一
 「(私たちは)元谷代表に乗せられたのかも」小松崎和夫氏
 「『田母神論文』が最優秀賞に決まっていたという勘ぐりは審査委員の名誉を傷つける」花岡信昭
 「田母神氏に賞金を渡すための懸賞だったと見られても仕方ない」山本秀一・中山泰秀

 この中で、ジャーナリストの大御所ともいえる花岡信昭氏の言葉「審査委員の名誉を傷つける」というのは、念を押しますが「『田母神論文』が最優秀賞に決まっていたという勘ぐり」でして、出来レース飾り物として自分たちが利用されたことに対してではありません。おなじジャーナリスト畑の小松崎和夫氏は「元谷代表に乗せられたのかも」と不快感をにじませていますが、小松崎氏は花岡氏の「名誉」を傷つけないようになさったほうがいいかもしれませんね。もう手遅れですが。

 もっと興味深いのは、山本秀一氏(中山泰秀議員秘書)の、審査劇をめぐるウラ話です。これは全文引用します。

 また、中山泰秀衆議院議員によると、元谷代表は中山議員本人や、代理で審査委員を務めた山本秀一氏に審査経過の公表について抗議の電話を入れていたという。
 田母神氏が更迭された後の11月下旬、山本氏がテレビ番組のインタビューに応じ「(田母神論文に)私は0点をつけた」と話したところ、元谷代表から電話があり「事実と違う」と強く抗議されたという。
 山本氏によると、田母神論文に一時5点満点中「2点」をつけたが、誤ってアパの指示より1作品多い論文に点数を付けていたため、2回目の審査会の席上、点数のない「選外」に変更したという。
 中山議員によると、元谷代表から携帯電話に電話があり、「あなたの秘書は2点から最低点ではなく、最高点につけ直したんだ。ウソをつくと選挙に落ちる。政治生命を失う」と語ったという。中山議員を審査委員に選んだのは、論文募集時、外務政務次官だった肩書がほしかったからとも明かしたという。中山議員はこうした経緯を大阪府警に相談しているという。

 この辺の真偽について花岡信昭氏は、早い段階でご自身のブログにて、次のように明かしています。

 (前略)論文募集を企画したアパグループ元谷外志雄代表は中山泰秀衆院議員(当時外務政務官)に審査委員を依頼、中山氏は快諾したが、2回の審査会に秘書を代理として出席させた。この秘書が「自分は田母神論文に0点をつけた」とテレビで述べたという。このため、田母神氏を最優秀賞にするための工作があったのではないかと疑われる要因となった。

 中山氏の立場も考えて内密にしておこうかとも思ったが、秘書の「0点」というのは事実に反する。これによって、渡部昇一審査委員長はじめ審査に当たった側の名誉が汚されるのだとしたら看過できない。

 寄せられた論文235点をアパ側がまず25点に絞り込み、審査委員は執筆者名が伏せられた作品を読んだ。2回目の審査会の前にそれぞれが最優秀賞から佳作までの候補作品を選び、得点をつけてアパ側に送った。これを審査会で集計し、元谷氏を含めた5人全員が点を入れた田母神論文が最高点となった。

 中山氏の秘書は当初、別枠でカウントすべき学生部門の1作品に最高点をつけてしまい、審査が混乱した。そこで仕切り直しをするといった経緯はあったが、この秘書は田母神論文に明らかに点数をつけていた。「0点をつけた」という話が出てきたゆえんは不明だ。
 (中略)
 政治問題化しているから、保身に走る気持ちは分からないではないが、とんでもない誤解を生んでいる以上、秘書のうかつな発言は重い。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/194701
http://hanasan.iza.ne.jp/blog/entry/791778/(予備)

 上記は11月11日のエントリーで、「【政論探求】「田母神論文」秘書のうかつな発言 審査の真実」と銘打たれた一文です。山本氏がテレビ番組のインタビューで「私は0点を付けた」と証言したのが11月下旬となっているだけに、こうなると真相がどこにあるのかわかりませんが、審査会にて混乱があったのは事実のようで、「0点」ウンヌンは、その過程で生じた副産物でしょうか。居直りは産経系記者の十八番だから花岡氏のコメントは素直に受け止められるけれど、今朝の『朝日』記事を見ると、「保身」という言葉が合致しそうな審査員は、“大先輩”に対して恐縮ながら、花岡氏しかいなさそうであります。

 田母神論文をめぐる世論調査では、ヤフー調査では6割近くが支持を表明し(ヤラセという報道もあるが)、さきの11月29日深夜・テレビ朝日朝まで生テレビ」では「共感できる」が61%、「共感できない」が33%という結果で、田母神氏およびその支持者を喜ばせました。民衆から圧倒的な支持を誇ったヒトラーフセインや“将軍様”には及ばなくとも、閉塞感ただよう日本社会において、田母神論文は、すでに相当数を占め膨らみ続ける日本皇国復活を目指す人たちの鬱憤を解放せしめたことは確かなようです。

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 追記です。『朝日』記事を引用しましたが、引用文では山本秘書がテレビ局のインタビューを受けたのが11月下旬と読めるけれど、元谷代表から抗議の電話があったのが「11月下旬」とも取れるので、山本秘書が「0点つけた」とテレビで語ったのが11月上旬なのか下旬なのか、その両方なのか、判然としません。朝日記者はきちんと記事を書いてほしいです。デスクも校正してほしいです。「という」「という」が続くのって変じゃありません?