『蟹工船』読んだ

 「おい、地獄さ行ぐんだで!」――。

 最近売れて話題の本『蟹工船』を読んだ。小林多喜二著で、1929年に『戦旗』に発表されたものだ。

 発表から80年近く経つ近代プロレタリア文学が、21世紀のいまになって脚光を浴びたわけは、文芸評論家や小説家など、いろいろな方が考察しているけれど、簡単に言うなら『蟹工船』の中身と現代の末端労働界の実態が酷似しているから、ということになりそう。

 周旋屋に騙され、汽車賃や宿賃などを差っ引かれいつの間にか借金を背負わされた学生や農民たちは、オンボロ船「博光丸」に乗り組み、「糞壷」と呼ばれる劣悪な環境に耐えながら、遠いオホーツクの海で過酷な労働に従事させられる。雑夫や漁夫らはいつしか団結し、横暴の限りをつくす浅川監督に反旗ののろしをあげる。しかし浅川と通じた駆逐艦がやってきて、運動の首謀者が連行されていく――という筋書き。

 ウン十万稼げるという謳い文句でヒトを駆り集め、寮費やら光熱費やら家具のレンタル料やらを差っ引く某人材派遣会社(日研総業)や、登録用IDカードを作らせて福利厚生の名目で社員に借金を背負わす別の派遣会社(フルキャスト)が、いまの世の中に現実に存在し、つまり「暴利をむさぼる大資本」が存在しているという事実に、ひとびとが気づきはじめたことが、『蟹工船』の売れ方に反映しているのだろう。

 物語の終わりのほうで、雑夫や漁夫らは自分たちを助けにきたと思った駆逐艦が、実は自分たちの味方ではなく、国家や大資本の走狗にすぎず、期待とは正反対に自分たちを捕まえにきたとわかって、はじめて世の中の実態を知るシーンは、実に示唆に富むものである。

 派遣会社で暴利をむさぼられた側は、そのことに気づかされたいま、そろそろ次なる一手に出なければならない時期だが、はたして世の中は変わっていくだろうか。

 あるいは変わらないかもしれない。私も『蟹工船』がどれだけ売れても、大資本による搾取とピンハネの仕組みが巧妙化することはあっても、雇用と末端労働をめぐる実態は、ほとんど変わらないと思っている。

 私が読んだ『蟹工船』は新日本出版社が1974年に出した文庫本。『蟹工船』は新潮文庫が有名だけれど、新潮社という出版社は、小林多喜二を虐殺した側に一貫して立っている保守系出版社だ。最寄の書店に行けば新潮文庫蟹工船・党生活者』はすぐにでも手に入るけれど、そんな版元で出している文庫本をあえて買うこともあるまいと思って、ネットで古本屋を探し、かつて小林が属した政党の系列出版社で見つけた次第。

 小林多喜二はどういう最期を遂げたか。1933年2月20日、赤坂で特別高等警察特高警察)に捕まり、拷問の果てに虐殺されたのである。Wikipediaから引用。

 …警察当局は、翌21日に「心臓麻痺」による死と発表したが、翌日遺族に返された多喜二の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた。しかし、どこの病院も特高警察を恐れて遺体の解剖を断った。
(中略)
 なお、小林多喜二を虐殺した時の特高警察部長は安倍源基であり、その部下であった毛利基特高課長、中川成夫警部、山県為三警部の三人が直接に手を下している。

 小林多喜二の作品が注目を浴びても、小林を死に至らしめた国家とその走狗には、ひとびとは目を向けない。『蟹工船』は近代日本文学で燦然と光り輝く作品であることに異存はないが、小林多喜二が殺された真相について、ひとびとは興味を示さない。

 多喜二の拷問でショックだったのは、右の人差し指が折れて、ぶら下がっているだけで反対側にもへし折ることができたということ。つまり二度とペンを持たせないということです。
週刊金曜日2008.7.25=712号、井上ひさし雨宮処凛対談より)

 もう関係者は死んでしまったことだろうが、小林多喜二を殺した側を炙り出し、責任を問うてこそ、世の中は変わるのである。まもなく総選挙が行われるなら、次の一手をそのために投じるのもひとつの方法であろう。

 なお、「週刊金曜日」の版元でも『蟹工船』を出版したので、おすすめはそこを紹介しておく。

小林多喜二 蟹工船

小林多喜二 蟹工船