払田柵へ

払田柵・外郭南門


 4月24日と27日の日記で書いた払田柵(ほったのさく)へ行ってきた。うちから車で1時間そこそこで着けるところにある。大仙市(旧仙北町)の田園地帯にある小高い丘が、それ。

 連休は好天つづきだったせいで気温が夏と変わらないほど高い。3日に平泉で炎天下を歩きとおしたため、腕とうなじが日焼けで痛い痛い。でもきょうは曇り空で気温もおだやか。夕方ちかくに雨になるという予報だったので、お昼をはさんで1時間半ほど、払田柵ですごした。

 ずいぶんひろい史跡である。なんでも陸奥国鎮守府が置かれた多賀城よりも面積がひろく、平安時代蝦夷の地に朝廷が築いた城としては最大級なのだそうだ。それでいて、正史にはこの払田柵、まったく登場しないという、謎だらけの柵なのだ。

 外柵南門から中へ入る。まっすぐ行くと外郭南門。復元されたものだ。で、政庁へと通じていく。

 きれいに芝に覆われ、ゴルフ場のよう。だれでも自由に散策でき、ちょっとしたレクリエーションにも使えるのだそうだ。ただしペットの散歩やゴルフ練習などは禁止または規制されている。

 ここがかつて大和朝廷が、わが祖先・蝦夷の文化を破壊し、資源を略奪する目的で造った前線基地か。

 その柵を造成するために狩り出された人員もまた、全国から集められた先住民。蝦夷もいれば熊襲も土蜘蛛もいる。ユダヤくんだりからやってきた渡来人どもが、1万年以上もつづいていた先住民の生活をことごとく踏みにじった。彼・彼女らが世界を席巻するようになって、日本は、世界はどれだけ平和を脅かされてきたことか……。

 まあ、渡来人のいない時代、石器・縄文時代が平和だったからといって、では原始時代の生活の戻りたいのかと問われれば答えに窮するけれど、石器・縄文時代の数万年のち、渡来人がもたらした弥生文化以降、この2000年で世界は破滅に向かいつつあることは確実だろう。

 それにつけても史跡は史跡。よくもまあ重機もトラックもない時代、これだけのものを古代の人々は、ほとんど手作業で建てたものだと思う。いま各地で復元されているけれど、仮にこれが造られた当時のままそっくり残っていれば、国宝どころか世界遺産登録だって夢ではなかったろうに。

 総合案内所で鑑賞できるビデオは秀作だった。とくにアニメは見ごたえがある。先住民・蝦夷の側からみた大和朝廷の傍若無人ぶりを如実に描いていた。

 平安の時代、郷里に造られたなぞの城・払田柵。よかったらぜひ行ってください。