映画『靖国』問題つづき

 前回のつづき。映画『靖国 YASUKUNI』公開中止問題(?)は日増しに大きくなり、上映館が大阪で一ヵ所名乗りをあげたとの報せもあるが、日本国の戦前回帰の流れはもはや決定的となっていることを象徴する出来事となりそう。

 なぜなら、だれも大して騒がないから。マスコミの多くは「おかしい」と報道を続けているけれど、どうせすぐ、やむ。私は断言できる。そして忘れ去られる。

 一介の週刊誌に感化された一介の狂信的女性代議士(稲田朋美衆議院議員)のイチャモンでもって、この映画が「反日」とレッテルを貼られてしまっただけで、弾圧どころかとりたてて強力でもない街宣に、一部のシネマ関係者が怖気づいた。そして「上映しません」と決めるやいなや、この空気が加速度的に他のシネマへ波及した(国家による弾圧にあくまで立ち向かうチベット自治区の人たちとのこの違い…)。

 ここまで達成した稲田代議士は早晩、来るべき日本国家の大英雄(英雌かな)となるだろう。もうなってるかもしれない。「上映をやめさせようと考えたことはない」などと稲田議員は言っているが、「『百人斬り』の新聞記事や真偽不明の南京事件の写真を使って、反日映画となっているようです」と、『靖国 YASUKUNI』が反日映画であることはほぼ認めている。上映中止は、稲田議員にとってなにより望む展開であり、上映中止を歓迎する風潮もまた、稲田議員の理想なのだ。

 「あれは反日映画だ」との思い込みが、ネット界を中心に全国へまたたく間に広がり、ほとんどのシネマが上映を中止し、これを少なからぬ国民やメディアは、「おかしいのでは」とは思いつつも大きなうねりにはならない。逆にいえば、「公開中止でOK」という空気が大勢であることの証明にほかならない。

 だいたい、日本の娯楽文化の担い手でもある映画関係者や日本ペンクラブが、いくらなけなしの抗議の声をあげたところで、たとえば「ではウチが断固上映する」というシネマが、今後どれだけ現れるだろう。せいぜい場末の公民館や○○会館といった、しょぼい集会場での草の根上映が関の山。私としてはぜひ観たいのだけれど。

 映画『靖国』上映中止を目指して活動し(多くはネット上でだが)、そして実現させた側。彼らはこうして勝利し、成功をおさめ、戦前の日本皇国復活への流れを確固たるものにした。

 その過渡期を私たちは生きているわけで。