独立するべったってしゃ…

 ことし1月11日の日記で、秋田の郷土紙『秋田魁新報』の大型連載「独立するべ」について書きました。連載はいまも間欠的につづいていて、すでに第5章。きょうの記事をみて「おや」と思いました。私が以前に述べたことと似ている内容だったから。では果敢に引用してみます。

 「戊辰戦争の際、秋田は東北唯一の明治政府軍として多大な犠牲を払って新政府に協力した。だが、戦後の薩長藩閥政府の処遇は冷淡そのもの。秋田はずっとコケにされっぱなしだったが、ほとんど抗議らしい抗議の声も上げていない」

 秋田国の高校必修科目「秋田学」の授業。この日のテーマは「秋田を変えよう―明治の教訓」だった。担当講師の説明を聞いていた2年の平田一郎はぼんやりと考えた。「そういえば、かつて秋田県時代、県民の行政依存体質は病的だったと聞いたことがある。お上に反抗しない県民、何でもお上に依存する県民。共通するのは、秋田の民力の弱さだったのではないだろうか」。教師は続けた。

 「明治14年に起こった秋田事件を知っているだろうか。旧平鹿町の柴田浅五郎らが平等な農民社会を目指して立ち上がった自由民権運動藩閥政府が弾圧した事件だ。そのときも秋田人は官憲の言いなりで、抗議の声を上げなかった」「秋田人が時の権力に敢然としてあらがい、民の誇りを示したのは、1100年前に大和朝廷の圧政に立ち向かった『元慶の乱』ぐらいではないか。そんな長い間のあしき流れを断ち切ったのが、わが秋田国の独立だった」
http://www.sakigake.jp/p/special/08/virtual01/virtual05_01.jsp

 ↑の記述が、拙文の↓のくだりに共鳴していると思われるのですね。

 元慶の乱で、秋田の蝦夷は朝廷軍を打ち破った。律令政府による苛政に地震と飢饉が重なり、わが郷里の遠い祖先はやむにやまれず立ち上がった。そして朝廷に対し出羽の独立を要求したのである。2万年前よりここに暮らし、自由におおらかにのびのびと生きてきた先住民が、渡来大和人の圧政・圧制に縛られることなく、本来の権利を勝ち取ろうと動いたのだ。

 そんなおとぎ話みたいな歴史をここであげつらってもしょうがないけれど、県民の命にかかわる重大事が逼迫、もしくは経験がないかぎり、住民が立ち上がることはない。

 若杉知事の意気はだれも否定しまいが、自民・公明両党が牛耳る日本政府の圧制・圧政に真っ向から立ち向かえる政治家は、秋田にここ1000年くらい現れていなさそう。戊辰戦争秋田藩奥羽越列藩同盟を脱退し、官軍側について、他の東北藩を裏切ったのはたかだか140年前のことだ。もっとも秋田藩主は水戸から降った人物の子孫だったが。

 今日の「独立するべ」が、わが駄文に少なからぬ影響を受けているとまではさすがに思いませんが、かりに執筆者が拙ブログを見て、こういう切り口もあるのだなと思ってくださったのだとすれば、ブログ運営者として冥利につきる話であります。

 とはいえ、あれ以来私は、この「独立するべ」を読んではいるものの日記で触れることはしていないので、元慶の乱戊辰戦争を挙げてくれた記者さんに礼を返す意味において、ひさびさに論じてみようと思います。

 記事のサブタイトルは「必修・秋田学 変革へ生徒を刺激」。「明治の教訓」というテーマで、祖国・秋田の未来を担う高校生が、秋田人としての意識を高める狙いの必修科目「秋田学」を学ぶひとコマです。その中身というのが“「国民総ヘルパー制度の課題―介護と高校生の役割」「ムラに生きる―集落の集団移転は是か非か」「中心市街地活性化には何が必要か」など”といった「刺激的なタイトル」なのだそうです。

 どこが「刺激的」なのか、と思いました。田舎だらけの秋田では、20〜30年くらい前から直面している、ごくありふれた、普通の問題ではないでしょうか。あえて言えば「牧歌的なタイトル」。これを独立後に高校生に学ばせることが刺激的なのだとすれば、逆に言えばいまの高校では、生活に直結する身近で将来的で深刻な問題を、まったく学ばせていないことになります。

 「多角的で実践的」とはなんぞや? なんだか都会の若者が田舎で体験学習(つまり実践)するようなイメージを抱きます。それはそれで大いに意味があると思うし、「究極の狙い」である「民力を興す」のに一役買うことも期待できますが、元慶の乱戊辰戦争といった古い“道具”を持ち出して、介護だの集団移転だの。ギャップがどうしたって、素朴な高校生を戸惑わせる。

 もちろん介護も集団移転も街の活性化も、高校生にとって必修の課目であることに異論はありませんが、どうせ「刺激的なタイトル」なら、こんなのはどうでしょう?

 ●青秋林道建設で青森のブナ略奪狙った旧八森町 反対運動を官民あげて潰した超ファシズム 異議意見書提出者わずか2名の真実
 ●佐々木知事時代に日本国全域にとどろいた大恥 秋田湾開発頓挫から大王製紙訴訟敗訴、県木住詐欺騒動を検証する
 ●自然破壊のツケは半永久 森吉山ブナ伐って利益ウン10億ダム建設費1700億 秋田の森を黒く彩る放置スギ林をどうするか

 なんだか新聞の見出しのようですが(笑)、これくらい書かないと「刺激的」とは言えないのではないでしょうか。狙いは、独立以前にあった“秋田の恥”を知ってもらうことです。明治の教訓ならぬ「昭和・平成の教訓」ですね。

 元慶の乱は秋田の数少ない英雄物語です。戊辰戦争も、いまの国家体制からすれば秋田は勝ち組に置かれるから、安心できる向きも多かろうと思います。でもいずれ平安・明治時代の歴史の一コマでしかない。関係者なんていないし、したがって責任の所在もなし。のどかな話であります。

 私がここで強調したいのは、祖国の若者は、過去の過ちをこそ学ぶべきではないかということ。それも昔話ではない。もう終わったことではあるけれど、いまも関係者がたくさん存在していて、あまり触れたくないこと。つまりタブーです。したがって上の3件を、まず列挙してみた次第です。

 わが祖国秋田の先輩たちは、こんな馬鹿げた真似をしていまの私たちに重たい負荷を残し、その責任すら問われないまま余生を送っている。彼・彼女らにいまさら責任を負わせるのは酷だが、事実だけは心に刻みつけなくてはならない。そしていまに、将来に活かさなくてはならない。

 日本の歴史を改ざんしようという勢力が、ここ数年で爆発的に増え、もはやネット界では、たとえば南京事件などなかったことで決着しかかっています。これを他山の石にしない手はありません。自国の歴史を知らず海外に出た邦人が余計な恥をかくことを懸念するのは不健全ではないでしょう。同じく、祖国秋田の若者が外国(県外)へ出て、秋田の恥の過去を突きつけられたとき、どう対処すべきか、国内にいるうちに自覚させておくのも「必修」ではないかと思うのです。いかがでしょう?

 ところで、記事にある中で、ひとつ未知の題材がありました。「明治14年に起こった秋田事件」です。そんな事件があったんですね。郷土史を研究している最中ではありますが、明治以降の近代秋田史に到達するのはまだずっと先なので、いいテーマが手に入れられたことは幸運でした。かなり興味深いので、さっそく調べてみる所存です。

 連載「独立するべ」、期待しています。