『原発崩壊―誰も想定したくないその日』を読んで
著者の世代が読者に近いと、文章が読みやすくて、親しみやすいのは仕様だろうか。
ある先輩ジャーナリストによれば、読者層というのは著者の年齢プラスマイナス10歳になっているのだそうだ(プラマイ5歳だったかも)。40歳の私が本を書けば、30・40歳代の人がいちばん買ってくれやすいということになる。
私の場合、本の内容に興味なくても、読もうと思えばすんなり頭に入ってくるのは、したがって30歳から49歳までの著者が書いた本ということになる。だからというわけではないけれど、このたび買い求めた本『原発崩壊―誰も想定したくないその日』(金曜日刊)は、私より6歳年上、1962年生まれの明石昇二郎さんが書いたもので、核問題という私にはド素人のテーマを扱った書籍にしては、たいへん読みやすく、かつ面白かった。
明石さんの著作を読むのは初めてではない。本作とおなじテーマの『敦賀湾原発銀座(悪性リンパ腫)多発地帯の恐怖』(技術と人間社刊)を5年ほど前に読んだことがある。原発がひしめく敦賀湾周辺に住む住民に悪性リンパ腫発症例が、他地域とくらべて格段に多いことを、緻密で詳細なデータで裏付けた力作ルポだ。
明石さんはそれ以外にも著作は多いし、いろんな雑誌にルポを発表しているけれど、核問題には私はさして関心がないのでそれほど活躍を知っているわけではない。でもこの『原発崩壊』はそんな無関心層にいる私にもちょっと興味を惹かれたので買い求めたわけ。詳しい内容は措くとして、さすがに読ませた。面白かった。
私の住む秋田県には、幸か不幸か原発などの核施設は、ない。合併前の旧自治体は、ご丁寧に非核平和都市宣言までしてくれたし、いまの市長さんも原発に反対の革新系だったりする。そんなわけで核問題は身近とはいえず、無関心なのも当然だが、愛するわが祖国・日本がたくさんの原子力発電所やら核燃料サイクル施設やらで、兵器ではない核だらけの国であることくらいは知っている。
でも、私の町から一番近い原発が、宮城県の女川原発で、直線距離にして100キロメートルくらい。間には標高1600メートル超えの栗駒山がそびえ立っているし、仮に女川原発が重大事故を引き起こしたとしても、放射能を帯びた雲が秋田へ飛んでくるなど、地球の公転自転が逆回転しないかぎりあり得ないわけだから、まあ俺のところは大丈夫だろうとタカをくくっていた。
その変な安堵感は、本書を読んだ後でも変わらないけれど、地域によっては風向きによっては、ただごとでは済まないのだな、と思い知らされた。
東海大地震が起きた場合、震源とされる静岡県の浜岡原子力発電所で重大事故発生、数万人が急性障害で死亡、数百万人がガンで死亡、首都東京は壊滅――そんなデータが、本書に示されている。日本に住む人の5パーセント強が死ぬと。
「俺のところはそれでも大丈夫だな」と変な安堵感を得た理由というのは、データでは私のところの汚染が、1平方キロメートルあたり10キュリーと“軽微”であること。殺人レベルの放射能を帯びた雲が、偏西風にのって東京上空に達することはあっても、関東を縦断して東北へくることは、前述のとおりありえないから。
ちなみに日本政府が法令でさだめる放射線管理区域は1キュリーだそうで、基準からすれば秋田とて安全な場所ではなくなるわけだが、これでは日本列島全域が「危険区域」になってしまうのだそうだ。チェルノブイリ事故ではロシア政府は15キュリーを避難基準にしたとか。
原発事故。御用学者を動員して、幾重にも安全を確保したつもりで、55基もの原発をこしらえたわが祖国の自民党政府。大地震も怖いけれど、福井・敦賀原発のほぼ真下を浦底断層という活断層が走っているんだそうだ。それが動き出したらどうなるかな…。
原発事故は避けられない。絶対。起こったらそれが最期になる。そういう意味で原爆となんら変わりない。
なら、せめて私が死んだあとに起こってほしいです。本書を読んだ感想は、それに尽きる。
- 作者: 明石昇二郎
- 出版社/メーカー: 金曜日
- 発売日: 2007/11
- メディア: 単行本
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