田代岳(1178メートル)

田代岳山頂直下の池糖群


 4年ぶりの登山は20日に予定していたのだが、お盆の後半あたりから東北は天候が崩れだし、どんよりとした曇り空に大雨が襲い掛かるといった急変に見舞われたため、登山は延期を余儀なくされた。

 私のお盆休みは決して短くはないが、いまはもう若いころのような自由は利かなくなってしまい、自宅と連絡が完全に遮断される登山や沢登りといったハード?な活動は難しくなってしまった。悲しいことである。

 でもどこか登ってみたい。森林限界点を自分の足で登りつめ、下界とはまったくちがう空気を、また吸ってみたいと願いがつのっていた。なにせ4年前の森吉山いらい、どこにも登っていないのだから。

 でもブランクがハンパじゃない。4年も登山をやっていないなんて。まあ3年前はN川源流を遡行したけれど。あと栗駒山の軽登山も何度かやったけれどね。

 そういうわけで4年ぶりの登山は白神山地のひとつ・大館市田代地区(旧田代町)の田代岳にすることにした。標高は1178メートルで、登山口から山頂までの標高差は500メートルそこそこ。地元の小学生も普通に登っている、里山に毛が生えた程度の山です。北東北では1000メートルを超えれば亜高山ですのら。

 登ったのは8月23日です。前日に田代の温泉ホテルに泊まり、翌朝早めの朝食を摂って、さっそく登山口へ向かう。前日までの大雨は秋田県内各地に水害をもたらしたが、天気はきょうからようやく回復する。雲はまだ上空に少なからず、しかし青空も随所にすがすがしく広がっていた。夏はもう去りかけているけれど、森の空気の美味しさを胸いっぱいに味わうべく、車の窓を全開して林道を走らせた。

 荒沢登山口到着は8時30分。平日だからか、駐車場に車両は自分以外なし。4年ぶりにニッカボッカズボンをはき、トレッキングシューズに足を突っ込んだ。静かな山行になりそう。

 8時45分、出発。森の中へてくてく歩き出す。ブナやミズナラが歓迎してくれる。早朝とはいえない時刻だから野鳥の声はまばら。鳴いていたのはシジュウカラくらいかな。

 沢沿いに道が続いていて、整備も行き届いているため、歩きやすい。まあ子どもでも登れる山だしね。

 三合目でもう尾根に出た。急登はなく、平坦で歩きやすい道がしばらく続く。四合目を過ぎ、五合目で他のルートとの合流点に達する。ここまで一時間。

 さすがに白神山地である。ブナの巨木が林立。といっても田代岳エリアは世界自然遺産登録地ではない。登山口まで通ずる林道があるということは、ブナの伐採が行われていたということ。実際、山頂から麓を眺めればブナを伐採してスギを植林した無残な跡がそちこちに見られ、視界を汚すことおびただしかったからね…。まあクサレ営林署による無茶苦茶な原生林伐採は、いまでは過去の話だが。

 六合目あたりから登りがきつくなり、ブナの根っこが動脈血管のような様相で地表を這う道を、ひたすら登りつめる。

 登りは心臓、下りは膝にくる、といわれる。でも心臓はいたって穏やか。減量作戦は大成功だったみたい。4年のブランクは解消されておりました。

 八合目。高木の密度が薄くなってきた。森林限界が近い。となればおのずとペースが早まる。視界が開けたところへ達したときの解放感が4年ぶりに味わえる瞬間が近い。

 さて九合目。田代岳の見せ場、湿原の広がる、もっとも美しい場所だ。

 大小さまざまの形の池糖があちこちで、青空に流れる雲を映し出している。湿原の中央に木道が延び、カタコトいいながらトレッキングシューズを進め、最後の急登を経て、山頂到着は10時40分でした。

 俗界とはちがう空気を深呼吸……あー美味い。

 予想どおり頂上は無人。私がきょうの一番乗りかな。他の登山者との出会いも楽しみなのに、ちょっと残念です。

 風が強いこと。山頂に大き目の神社が祭られてあり、中に入ると10人は泊まれそうな広さ。寒暖計があったので気温を見たら14℃でした。

 昼食には早いので飴玉やカロリーメイトを口にしながら写真撮影する。

 ここは秋田・青森県境に近いところだけれど、県境そのものではない。でも北側・青森県の方角には岩木山がそびえ、弘前市街も見える。南の大館市街に樹海ドームの建物もはっきり確認できた。ドームは森吉山頂からも見えたっけ。

 小鳥の声がほとんどない。風に乗って聴こえてくるのはウグイスの地鳴きか。もうさえずってはくれないのね。森吉山ではルリビタキアカハラが鳴き交わし、イヌワシも現れて私を歓迎してくれたのに。

 話し相手になってくれるヒトも小鳥も昆虫もいないし、退屈になってきたので、小一時間で山頂とお別れする。11時30分で下山を開始することに。

 湿原にいたる下りの途中で、木道をくる登山者を見かけた。あ、きょうは俺だけじゃなかったんだな。疲れ果てたような顔つきの、50歳代とみられる男性とすれ違う。

 もうここに来ることはないから、ミツガシワの浮かぶ池糖を見つめ、水面に映る空の青さを脳裏にしっかりと刻み、ゆっくりと歩く。木道に別れを告げ、あとは来た道を戻るのみ。

 ブナ林に差し掛かり、そうだ、ブナの実生を手土産に持ち帰ろうと思って探したところ、まるでない。これはどういうことだろうと思って登山道を外れて森の中を探しても、ない。なんで?

 森吉山ではいくらでも実生が生えていたのに。見つけられないのだとしても、なさすぎる。

 そういえば去年はブナの実が凶作だっけ。ブナ不作は5年周期で訪れ、去年がその年だったんだよな。

 結局実生はあきらめ、そのまま下山しました。途中で高校生くらいの男子に50歳くらいのおばさんコンビとすれ違いました。登山口到着は13時40分。

 *

 おそらく登山はこれが最後だと思う。もろもろの事情で4年も登山ができなかったように、私を取り巻く状況が、かたときでも俗世間を離れることを許さなくなってきたから。

 10年以上も前に青森のアウトドアショップで買ったニッカボッカもDバックもトレッキングシューズも、もはや使うことはないだろうなあ。

 まだまだ登りたい山はたくさんある。でももう予定をたてることはやめよう。環境が大きく変わらない限り、登山趣味は封印ですな。

 脚の筋肉痛、ほとんどありませんでした。