家族を狙えばいい

「加藤を懲らしめる目的だった。謝罪の気持ちはない。加藤は外務省時代から,政治家になるため,中国から選挙資金や派閥運営資金を出してもらったスパイだ」

きのう初公判が行われた被告の言葉だ。昨年8月に山形県新庄市で放火事件を起こした被告である。加藤とは加藤紘一自民党衆議院議員。被告は起訴事実を認め,自分の犯行が義憤にかられた末の行動であること,つまり「正しいこと」であると主張した。

所属している右翼団体が紹介したという弁護側はこうも述べた。

「祖国防衛を目的とし,政治的動機に基づく犯行」

「自決から逮捕前までの間,被告は(入院先の病院で)実質的に身体を拘束されていた」とも弁護側は主張し,公訴棄却をも求めたという。「この裁判は手続き上に問題がある。したがって裁判は無効だ」という理屈だ。

事件の被害者である加藤代議士は初公判に際してこうコメントした。

「わたしが発言し続けていることは,5年前なら全く問題にならなかったような内容だと思う」

5年前か。わずか5年間でここまで日本はマイナスの“急成長”を遂げた。早い早い。

被告は加藤代議士本人にむかついたのだろうが,狙われたのは「本人」ではない。年老いた母親が暮らす実家だ。

加藤氏にとってかけがえのない家族であり,生まれ育ったふるさとのわが家だ。鶴岡・酒田・新庄にある加藤代議士の事務所ではなく,東北の片田舎にある古ぼけた民家だ。

被告は考えたのだろう。「加藤を懲らしめる」には,どこを狙えば最も効果的であるかを。

選んだのは生母の住む民家だ。警備など敷かれていない閑静な住宅街にある,普通のありふれた民家だ。放火などたやすいこと。実際,簡単に侵入できた。「ここを狙えば加藤とて……」

被告は犯行時,家の中にだれもいないことを確認して火を放ったそうだ。加藤代議士の母親は散歩中だった。人を焼き殺すまではするつもりはなかったらしい。

「謝罪の気持ちはない」「加藤はスパイだ」

この言葉が非難を浴びるどころか,支持を集めつつある。「被告は悪くない。悪いのは靖国参拝を批判した加藤だ」と。少なくとも「5年前」にくらべて,被告の行動を英雄視する意見が激増したことは間違いない。

ただ,まだ5年しかたっていないから被告は逮捕され,起訴された。だがもう5年経ったらどうだろう。

「国家の意思に反する言動をした者は,いかなる不利益を被っても自己責任においてこれを処理しなくてはならない」

そんな条文が何かの法律に書き加えられるかもしれない。

つまり殺されても文句を言うな,と。いや,正確に言えば「家族が殺されても文句を言うな」とすべきだろう。

「国家に逆らう真似をするなら,お前の家族を標的にするぞ」

これじゃどんな筋金入りも「勇気ある発言」はできまい。自分に直接なにかやってくるなら我慢するか立ち向かうが,家族を殺すとまで言われてはどうにもなるまいから。なにせ犯人は「祖国防衛」という大義があり,相当数の国民の支持を受けているのだ。

5年か。わずか5年でこうなったと言うべきか。それとも「ここまでくるのに5年もかかった」と見るべきか。

このままいけば,いまから5年後はどうなっているだろう。

「祖国防衛を目的」とする犯行は殺人を含めてすべて不起訴ないし起訴猶予

さすがにそうはなるまい。だが「犯人は悪くない」という声がいまよりはるかに増えていて,メディアもそうした論調が支配的になっていることは間違いあるまい。

(参考:『河北新報』2007年1月12日)