八峰町へ

青秋林道終点にて、秋田豊さんと


 思わぬ出張の機会がめぐってきて、県北にある八峰町(はっぽうちょう)へ行くことになった。

 同じ秋田県でありながら、私の地元は岩手・宮城・山形に近く、八峰町は青森と県境を接している。地図を見ればわかるように、秋田県は南北に細長い長方形をしており、私の街と八峰町とは、右下と左上の端っこにあって、交流はほとんどない。だから、そうそう行き来する機会がないのである。

 世界自然遺産白神山地が背後にひかえる八峰町。この日の道中でも振り返ってみよう。

 秋田自動車道を北上し、能代南出入り口(インター・チェンジ)で降りて国道7号から101号へ。まもなく八峰町に入り、八森地区に着く。ここまで2時間ちょい。早いものだ。

 途中でMさんに電話をいれ、到着した旨伝えると、そこからすぐの「鹿の浦展望台」で待ち合わせとのこと。

 車をさらに走らせ、展望台に着く。ここは10年くらい前、青森県にある暗門の滝を訪れた帰りに立ち寄った記憶がある。あのときは天気が悪かったけれど、きょうは風もすずしく空気も清んでいて、男鹿半島の低い山なみがくっきり望めた。ハマナスが咲いている。

 まもなくMさんがやってきた。お互い握手をかわしてあいさつをする。きょうは、正業がらみと活動がらみの両面で、お世話になる方だ。

 まずは正業の方へ。町内のご親せき宅へ案内していただき、こちらも営業マンに早変わりして、ふだんの仕事を務める。

 商談は上々にまとまった。Mさんに大感謝である。

 仕事じたいはこれで終わりだが、Mさんは私を仕事場へ案内してくださった。

 国道沿いにある作業所。こじんまりとした工場で、ご主人が草刈機を整備していた。車の中には伐採作業用の鎌などが積まれている。

 「秋田さんがもうすぐ来ますよ」と言われ、緊張が走った。

 あまり時間もおかず、年配の小柄な男性が車でやってきた。

 秋田豊さんである。

 秋田さんに会えるとは夢にも思わなかった。秋田さんは、Mさんより私のことを聞かされていたらしい。屈託のない笑顔で応じてくださった。

 Mさんは秋田さんを伴って、私を白神山地へガイドしてくださるという。恐縮するばかりである。

 悪名高き青秋林道。地元の枠を飛び出て、全国的議論へ発展していった公共事業である。世界で随一といわれるブナの原生林を分断する林道工事の是非をめぐり、かつてこの町は揺れに揺れた。

 白神山地は、いまでこそユネスコ世界遺産に登録されたけれど、青秋林道の秋田側工区は、実は完成しているのである。県境まで舗装されている。10年ほどまえに訪れて、その様を私はしっかり脳裏に刻み付けた。その場所へ連れていってくださることになった。

 国道から山手へゆけば、そのまま青秋林道。狭い道だが、白神山地の玄関口のひとつである二ッ森という山の登山口に通じているので、こぎれいに整備されているのである。

 あいかわらずのスギ植林地。いまはまだ夏の名残で緑が映えているけれど、紅葉期には黒々とした森に変貌し、秋田の森林を象徴する悲しい光景が広がる。真っ赤な紅葉樹と黒いスギ林の塊。そのアンバランスが、県外から来た観光客の目を汚すのが残念でならない。

 南米コスタリカでは、破壊した森を政府が買い取って自然再生に取り組み、世界ではじめて再生自然が世界遺産に登録される前例となった。

 八峰町白神山地は、一畳たりとも世界遺産に登録されていない。民有地であることがそのネックのひとつであるなら、県が買い取ってスギ植林地をブナ・ミズナラなどに植え替えて、息の長い自然再生事業をおこなえば、あるいは20〜30年後くらいに、世界遺産の拡幅登録にこぎつけるのでは――と私などは思っているのだが…。

 およそ40分で、林道終点についた。10年前と変わっていない。行き止まりである。

 秋の気配がたちこめ、小鳥のさえずりは聴こえない。でもさすがに森の清浄なる香りが満ち満ちて、深呼吸する胸がみずみずしい空気でいっぱいになる。

 青森にある岩木山白神岳は残念ながら望めなかったが、秋田白神の名峰・二ッ森や日本海に突き出る男鹿半島の景色が雄大に広がっていた。

 平日なので登山者は見られなかったが、年間数千人に達する観光客や登山者が、この林道を通って白神を訪れるとMさんは語った。

 秋田さんと二人で撮影。

 帰り際、秋田さんはこんなことを話した。

 「青秋林道に反対しても、工事はどんどん進み、もう絶望していた」

 「地元で秋田さんに協力する人はいなかったんですか?」

 「いなかった」

 首を振って短く答える秋田さん。私は全身の血が逆流する思いであったが、いまはこれ以上書かないでおく。

 帰り道、Mさんが不意に車を止めた。そばの朽木に、一羽の大型猛禽類が止まっていた。

 イヌワシである。

 度肝を抜かれた。

 地元のNの件で、私は幾度もイヌワシを探してフィールド調査をしていたが、お目にかかれたのはほんの1〜2度。Nのイヌワシとは相性が合わないとサジを投げた苦い経験があるのだが、白神のイヌワシに、行ったその日に、まさかこれほどの近距離で会えるとは。

 Mさんは地元で正業のかたわら、白神ガイドや猛禽類など鳥類の生態調査をやっているので、イヌワシの“信頼”が厚いことは想像に難くない。イヌワシは人を見るのである。そのおかげだとは思うけれど、Mさんは「Hさん(私)を歓迎してくれたんじゃない?」と笑いつつも、忙しそうにカメラを向けていた。私も負けじと撮影する。秋田さんも慣れないデジカメで撮影をこころみる。

 まさにサプライズ。予想外の出来事だ。それも歓迎すべき。

 Mさんは、ご自身が愛用している火の見ならぬ鳥見やぐらへも招待してくださった。ログハウスふうの建物に、バーベキューができそうなコーナー、海が一望できるフロア、階段を上がると野鳥観察はもちろん、天体観測にもうってつけな解放感あふれる天上ホール。ほとんどが天然スギ製で、ご主人がつくったのだという。

 海と山と川。自然にめぐまれた八峰町

 夕暮れがちかづく。傾きかけた太陽に日本海がまばゆく、海岸線の向こうにひょうたん島(雄島)が浮かんでいる。

 * * *

 Mさん秋田さん、ありがとうございました。この場を借りましても、厚くお礼申し上げます。時間的・地理的に、私に出来ることは限られ、どれだけご期待にそえられるか不明ですが、この日の経験と、うかがったお話は、Nの件はもとより、わが人生の指標としても、すこぶる有益であったと同時に、終生忘れがたい一日となりました。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。Mさんのご主人にもよろしくお伝えください。
 八峰のみなさんへ、2008年4月9日の日記で、いくつかコメントいただいたことからもわかるとおり、八峰の方々に対し、あるいはその心を傷つけたきらいがございます。その点は申し訳ないと思っておりますが、わずかながら触れ合えた八峰の方々の、純朴かつ誠実なお人柄は、同じ秋田県民のそれといささかも変わらないということを、どうか強調させてください。