25年ぶりの姫路城へ

姫路城にいたのらねこ

 三日目、天気がよかった。姫路城は階段ばかりだった。……

 これは、いまから25年前の私の作文の一部。1984年(昭和59)11月24日から5泊6日の日程で、高校の修学旅行で広島から兵庫・京都・奈良へ行ったとき、行程にあった姫路城見学の記述だ。修学旅行文集「記録」からの抜粋だが、わずか12字(笑)。25年前のわが感想の淡白なことよ。ちなみに下に貼った集合写真、前列右から3番目が自分です。

 そんなこんなで、さきほど15時40分、秋田に無事帰宅し、長距離出張はおわった。さすがに疲れた。

 25年ぶりに姫路へ行ったのは、もちろん正業でのことで、観光旅行や取材ではない。でも普段は秋田や岩手にいるのに、たまの長距離出張で、それもめったに行くことのない関西となれば、この機会をとらえて観光してみたいと思うのが普通であろう。ことに姫路は世界遺産・姫路城がある。見境を失った平泉がヨダレ垂らして欲しがっている世界遺産ブランドを、ユネスコ批准当初から楽々獲得した姫路城を見ずして帰ってくるなどという無粋は言語道断であろうからして。

 というわけで、きのうの姫路城瞥見の様子を書いておくことにする。

 11日、朝8時15分に出発し、山形から新潟・富山と北陸自動車道を走り、滋賀で名神高速へ移り、中国自動車道山陰自動車道と乗り継ぎ、途中、給油や食事を経ながら、14時間ぶっ続けで走り通した。兵庫入りして姫路へ着いたのは、もう22時を過ぎていた。姫路市内に入ると、遠めに姫路城がライトアップされていて、澄んだ空気の中に白く浮かび上がる「白鷺城」との再会に感激する。

 翌12日は仕事だが、早めに起きてホテルの自転車を借り、姫路城の間近へ行ってみることにした。見学時間は定められているだろうから入場は出来ないと思いながら、駅前から自転車を走らせると、すぐ目の前に昨夜、わが心を躍らせた白亜の名城が朝日に輝いている。

 姫路城周辺は世界遺産バッファゾーンなのだろう、景観が見事に整えられている。高圧電線の鉄塔はおろか、電信柱のたぐいさえ無い(裏路地にはあったがほとんど目立たない)。駅前通りの正面に姫路城が鎮座し、視界すべてが、城下町でありながらも近代都市としてのたたずまいにあり、新旧両者の調和を果たしているのに感心させられた。

 姫路城の世界遺産登録は1993年だから、その後に景観整備されたのか、それ以前からこうなのかは取材していないのでわからないけれど、市民・行政が一体となって文化と景観を守りぬいてきた証だろう。これを見せ付けられると、平泉あたりの世界遺産クレクレ運動は30年早いというか、噴飯モノに感じられるのである(平泉に世界遺産の価値無しというわけではない。むしろ平泉は姫路城よりも文化的価値は高い。問題は、平泉をめぐる地元の意識の低さと、それを表している景観のショボさである)。

 朝のラッシュ時だけれど、歩道もゆったりしているから難なく内濠に到着した。そこで写真を撮るだけにしようと思ったら、なんか城門が開いていた。散歩らしい人がそこから出入りしている。中に入れるのか。


 圧倒されるほどのでかい城門(大手門)をくぐり抜けると、広場(三の丸広場)があった。運動会もできそうなくらい。ここいら一帯は、公園・動物園であって、市民の憩いの場として開放されていることを知った(25年前にここで写真を撮ったはずだが<上の写真>、まったく記憶にないw)。

 とりあえず遊歩道をサイクリング。お濠の水もさほど汚れていない。シジュウカラヒヨドリが鳴いている。ジョウビタキのメスも目視した。ノラネコが2匹、日溜りで寄り添っている。近づいても逃げるどころかエサをねだって擦り寄ってきた。

 舗装されていない歩道を走り、自転車で内郭を一周してみることに。ところどころのベンチではお年寄りが日なたに温まり、通学の中学生や高校生、ジョギングの若者とすれ違う。姫路城は国宝・世界遺産といった骨董趣味じゃなく、市民に親しまれ、愛されていることがうかがえる。こういう点でも平泉との対比で、住民の価値観の違いが浮き彫りになってしまうのである。平泉の文化遺産はどれだけ市民に愛され、親しまれ、守られてきただろうか、と。

 時間も押してきた。一周するのにさして時間もかからなかったが、名残惜しいけれど正業に戻らねばならない。

 広い車道をはさんで土産物屋が開店の準備をしている。その建物も景観に見合った落ち着いた造りなのだ。平泉の土産物屋なんか、自己主張ムキ出し、無節操でケバイ場末の性風俗店まがいの下品さ。そういうところから意識改革していかなくては、何十年たってもユネスコは平泉を認めてくれないだろう。

 駐車場はすでに車を受け入れているが、土産を買っている暇はない。濠を彩るねずみ色の石畳に最後の一瞥をし、私はホテルに戻った。

追記

 姫路城の周辺環境について、こんな記事をみつけた。記事はもう読めないけれど、平泉の件に関して参考になる部分が大きいと思われるので、全文貼り付ける。

風情ある城下町に 歴史的景観 復活へ/姫路市 壁は漆喰、格子補修
 城下町の〈平成の大修理〉も始めます――。姫路市は2009年度から、姫路城周辺の景観保全区域(バッファゾーン、143ヘクタール)で風情ある町並みの再生に乗り出す。観光客が散策できる面的な広がりをつくり、かいわいを活性化させるのが狙い。初年度は、事業費600万円を計上する。
 歴史的な町並みを復活させるのは、06年の調査で江戸後期〜戦前の民家計123軒を確認した野里、男山南、龍野町の3地区。半数が立つ野里地区を手始めに、白壁や格子といった外観のお色直しを進める。野里では、約10年かけて行う予定。
 通りに面した壁をモルタルやタイルから城と同じ漆喰(しっくい)に変えたり、エアコンの室外機を木枠で覆ったりした場合は費用の3分の2、200万円を上限に負担する方針。一方、現代的な建物のデザインや色遣いは所有者らと話し合った上で規制する。
 こうした民家の利用・活用を後押ししようと、市のホームページでは物件をPRし、住んだり、飲食店や土産物店などへの転用を希望したりする人を、所有者に仲介するとしている。都市計画課の担当者は「城下町情緒が失われるのをくい止めたい」と話し、「町並みと城との相乗効果で、周辺ににぎわいが生まれれば」と期待している。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hyogo/news/20090221-OYT8T00013.htm

 記事にある野里地区は、私が12日に行ってきた場所だ。野里といっても広く、私の仕事先は普通の商店街だったけれど、あそこもバッファゾーンだったのだろうか。ただ、仕事先のお宅は、城下町の情緒あふれる古式ゆかしい平屋建物で、おそらく昭和初期の建築と思われる。ああいう民家は、ざっと観察したところ、とびとびではあるけれど、まだたくさん残っていた。

 やはり平泉と対比してしまう。世界遺産ブランド獲得に目の色かえてまい進つづける岩手県、当地平泉町および一関市・奥州市は、上の記事のような取り組みを、はたして行うだろうか。その予定はあるだろうか、と。