秋田には棚田が在りません

 「日本の棚田百選」というのがある。農水省が1999年7月に選定したもので、「百選」といっても全国から134ヶ所が認定されている。

 稲作文化を日本にもたらしたのは弥生人と考えられている。初期のころは西日本に普及し、東日本から東北へ流れてきたのは平安初期とされる。わが秋田では、1200年以上も前の古代に稲作がはじまり、先住民(いわゆる蝦夷)と渡来・大和人とのあつれきも、このコメづくりをめぐって生じたものであった。

 いまでこそ秋田や宮城は「あきたこまち」「ササニシキ」などブランド米で有名だけれど、そもそも秋田のような冷涼な気候の土地は、コメづくりには適さなかった。しかし渡来大和人はコメづくりを蝦夷に強要し、これに従わぬ先住民を弾圧した。結果としては、秋田は日本有数のコメどころとなり、日本国民の食糧生産を支える一大農業王国となっている。

 話がそれたが、棚田とは、急斜面を開墾して階段状となった水田のこと。水田は平坦な場所だとつくりやすいけれど、山間部では出来にくい。しかし階段状に開墾すれば、平地のすくない場所でも、手間はかかるが水田を効率よく展開できる。なにより灌漑のしやすさがある。

 稲作文化が古くから発達した西日本に、したがって棚田は多い。「棚田百選」は九州に非常に多く、都道府県別では長野が一番らしい。アルプス山脈を抱え、水の確保が容易で、斜面が多いという事情があるのだろう。

 さて、いまでこそ有数のコメどころといわれる秋田など東北ではどうだろう。「棚田百選」の栄誉にあずかる、日本の稲作文化の象徴ともいえる棚田が、あるのだろうか。

 答え。秋田には棚田が在りません。

 山形3、宮城2、岩手1、なのです。東北ではわずか6ヶ所。北東北3県では1ヶ所という寂しさ。北海道もゼロだ。

 農水省が1999年に「棚田百選」を発表したとき、秋田がゼロと知って、「ええーなんでー?」と思ったのだ。これだけ土地が広く、田んぼがたくさんあって、美味しいコメを作っているのに、コメがらみの「百選」に選ばれるモノがないなんておかしいだろうと。

 県の農政課?だかに問い合わせてみた。そしたらこういう答えが返ってきたのである。

 「棚田と呼べる形状の水田は、秋田県内には存在しないのです。農水省が『棚田百選』の選定作業を行っているということで、同省の要請で秋田県内の棚田に関する情報を集めたところ、残念ながら県内には棚田が見つかりませんでした」

 まじですかあ。「似たような水田なら、急勾配水田でしたらありますけどね」とも答えていたけれど。

 棚田の定義は検索すれば簡単にわかるし、それに合致しそうな田んぼなら、ひとつやふたつくらいありそうなものだ。しかし県の担当者は、「秋田に棚田なし」と結論づけていたのである。

 稲作文化は、狩猟民族であった祖国の先住民の生活を根本から変えた。その功罪についてはいまは触れないが、効率よく安定的に食糧が生産できるなら、狩猟文化を捨てて農耕民族へ移行するのは必然であろう。稲作は温暖な気候で適している。西日本に広まり、斜面を開墾して田畑をつくる営みが発達した結果、棚田は九州・中国地方で普及していった。日本の稲作文化を支えた棚田が西日本に多いのは当然であり、北日本に少ないのは当たり前なのであった。

 それにしても秋田だって、1200年前からコメをつくっていたのだから、ひとつくらい「棚田」があってもよさそうなものだが、県がないといったらないのだろう。

 さて、北東北で唯一、「棚田百選」に選定されたのが岩手県一関市大東町の山吹棚田。先日、付近を通りかかる機会があって、かの百選にえらばれた山吹棚田を見てきた。

 岩手の北上山系には、けっこう棚田が見られるのだけれど、急勾配水田との違いがいまひとつわからないところもあり、でも秋田ではなかなかお目にかからない棚田の光景をみると、ついつい見入って感心することもしばしば。

 冬の装いではあったが、農水省がお墨付きを与えた山吹棚田、なかなか味わい深い風景でした。写真を2枚あげておきます。