青森の思い出 冬の下北半島

 陸奥湾を取り囲む下北半島の内側に川内町があり、そこへ出張することになったのは、12月のことだ。現地は本州最北端に近い場所。秋田や盛岡オフィスからの日帰りは難しいので、前日に青森オフィスへ泊まって出向くことにした。

 朝から天気はよかったが、北国の12月は太陽にぬくもりがなく、陽が高くなっても頼りなげな日差しが車内をわずかに暖めるだけ。国道4号、野辺地町の賑わいがどこか懐かしい。穏やかな陸奥湾の海を左手に望みながら車を走らせる。

 野辺地からむつ市までの国道279号は、そこそこ車も通っていたが、むつ市を過ぎて338号に移ると、道幅はせまく車もまばらとなり、灰色の空に暗い海がかすかに波立って、否が応にも気分を沈ませるのだった。親不知歯が痛んでいたこともあろう。

 川内町のはずれの集落・蛎崎というところが目的地。仕事は1時間ほどで終わり、そのまま盛岡オフィスへ戻る。めったに来ることのない場所だが、陸奥湾の冷たい空気が車内に入り込むのを拒絶するがごとく、私はドアを閉めた。

 帰路は、4号線を行くのでなく、三沢から八戸へ抜けて、そこから高速道路を走って行こうと思った。

 確か横浜町から、六ヶ所村へ抜ける県道を利用したと思う。すれ違う車はほとんどいないのに、やたらに広く整備された真新しい道路だった。

 六ヶ所村日本原燃の使用済み核燃料再処理工場で知られる“核のゴミ”のムラだが、当時の私はそんなことは意識していなかった。こんどは太平洋の海を見ながらドライブできるな、としか思わなかった。

 国道338号は確かに太平洋沿いに続いているけれど、沿線は、荒涼とした原野がひたすらに広がる、「なにもない」ところだった。葦原や荒地が見渡す限り、視界を包みこんだ。

 だが道路から原野に足を踏み入れることは出来ない。ほぼ全域が有刺鉄線の柵で囲われ、ところどころに「○○社所有地」と看板が掲げられて、数キロごとに「○○社事務所」なるプレハブ小屋が建っていた。

 なんにもない原野の一角、一角に、よくわからない現場事務所が、ぽつりぽつりと設置されている。ダム工事や道路工事が行われているわけでもないのに。それはとても奇妙で奇異な光景だった。

 日本政府(自民党政権)の「国策」の名のもと、政治に翻弄されてきた、本州の辺境にある小自治体の姿なのであろう。

 それにしても寂しい村だった。村の中心部や住宅街を通らないので、村民や農家の作業を車から見る機会がなかったのだから仕方ないが、人の生活する匂いの、ほとんど感じられないドライブだった。まるで異世界を漂っているような。

 車はやがて三沢市へ。数時間ぶりに地方都市の賑わいに接して、なぜかホッとしてしまった。午後3時となればもう夕方である。そのまま八戸市へ出て高速道路で盛岡へ向かった。

 六ヶ所村のあの空気は、私の青森の思い出の中で、ひときわ重たく存在感のある何かを残していった。