高橋克彦さんへの疑問いくつか

 今月20日の『朝日新聞』岩手版紙面で、小説家の高橋克彦さんが『「平泉の心」こそ誇り』と題して、世界遺産登録が果たせなかった平泉をめぐる現状について懸念を示していました。内容は、浄土世界への理解を充分に浸透し切れなかった行政に対する苦言で、世界遺産ありきのやり方はおかしい、世界遺産登録よりも、藤原清衡の理想たる浄土思想の理解を深め、これをもっと県民に広めよ、というものです。

http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000420809200001

 総論として、世界遺産ブランドを金儲けの材料にしようとする一部の思惑を痛烈に批判する内容自体はおおむね賛同できるのですが、個別には首を傾げざるをえないところもあります。いくつか抜粋してみます。

 あの時点で藤原清衡が理想とした浄土世界が多くの人々に理解されていたとは言いがたい。単に金色堂と浄土庭園が審査の対象と思っていた人々が大半だったはずである。だから登録認定会議で浄土思想との関(かか)わりの証明が不十分と指摘されると、最初から金色堂などに絞ればよかったという乱暴な意見も飛び出す。

 「浄土世界が多くの人々に理解されていたとは言いがたい」は、私もそのとおりだと思いますが、「単に金色堂と浄土庭園が審査の対象と思っていた人々が大半だったはずである」には首をかしげました。高橋さんは4月5日付けコラムにも同じことを書いていましたが、新聞・テレビ・雑誌などの岩手県内のメディアは、かなりのスペースと時間を割いて、平泉のルーツを詳細にアピールしていたし、その内訳は必ずしも「金色堂と浄土庭園」にこだわっておらず、最低でも平泉前史となる前九年・後三年合戦を起源とし、中にはアザマロの乱などの蝦夷抵抗史から解説していたものも少なくなかったと思います。

 なにしろアテルイ没後1200年の岩手の盛り上がりは大変なものでした。金色堂と浄土庭園は平泉のカオだから、たしかにトップの扱いにされることはあっても、それだけが審査対象と思い込んでいる人が大半だなんて考えすぎではないでしょうか。

 また、「最初から金色堂などに絞ればよかったという乱暴な意見も飛び出す」とは、ネットで盛んに言われていた“暴論”に対する批判かと思いましたが、通常なら黙殺すべきそのような「乱暴な意見」を、高橋さんがコラムで触れざるをえないということは、これは名のある人物が公式の場で発言したということでしょうか。岩手の名士にそんなことをいう関係者がいるのでしょうか。

 高橋さんは「こうなった原因の多くは行政の側にある」と、ここでようやく主語=責任者の名前を出し、さらに批判をつづけます。

 遺物が重要ではなく、地上の極楽を目指した平泉の心こそ世界に誇れるものである。それが皆に浸透せぬうちに認定会議となり、あの通りの結果となった。しかし、幸いに何年かの猶予を与えられた。ありがたい温情と受け止めなくてはならないのに「推薦数が増大していることへの警鐘」とか「前年度に副議長国としてごり押ししたことへの反発」などなど、くだらない理由ばかり無理に探しだし、反省の様子が見られない。果ては次の推薦書では浄土思想との関わりを薄めてはどうかという意見もあるらしい。

 ユネスコ世界遺産登録数を抑制する傾向はよく指摘されていましたが、高橋さんはそのことには触れず、日本国内における「推薦数が増大していることへの警鐘」が落選の理由にあげつらわれてるなんて初めて聞きました。国内の推薦数増大はあくまで国内の事情であって、日本だけにかぎらない現象だろうし、イコモスやユネスコ本会議へのプレッシャーになるとは思えないのですが、このような指摘の出所を邪推するなら、これらの負け犬の遠吠え的言い訳も「行政の側」から発せられたということになります。

 「前年度に副議長国としてごり押ししたことへの反発」もネットでよく言われていた懸念材料ですが、これが「くだらない理由」であるとしても、「無理に探しだ」す必要があるのでしょうか。瑣末とはいえ、基本的な点で事実だと私は思います。高橋さんはそんなことは落選の理由にならないと言いたいのなら、昨年のイコモス勧告で石見銀山が登録延期とされ、平泉に動揺が走ったとき、「気にする必要ない」と高橋さんは主張されたのかどうか。

 高橋さんに賛同できるのは以下の部分です。

 土地の歴史への誇りは勇気を与えてくれる。その責任を担っていることを行政は忘れてはならない。このままなにもせず、数年後の僥倖(ぎょうこう)をただ待つようなことになるなら、私は認定推薦をこちらから取り下げたっていいのではないかとさえ思っている。
 平泉は私たちの誇りであり、世界がどう見ようと関わりがない。

 「世界がどう見ようと関わりがない」――。「変わりがない」でなく「関わりがない」とは、ずいぶん思い切った結論です。

 世界遺産登録されなくたって問題ないなんて、世界遺産登録に必死になっている行政や関係者、観光業者に冷水を浴びせ、反発をくらいそうなコメントですが、『炎立つ』など平泉を主舞台にした小説で名声を上げた創作家にしては勇気ある発言だと思います。さすが高橋克彦。率直に尊敬できます。

 3年後、はたして僥倖は起こるでしょうか。