「平泉」世界遺産ならずか 2

 5月3日に平泉へ行ったのは取材が目的だったけれど、当地がお祭りの真っ最中だったので、急きょお祭り見物に切り替え、足を運んだのは中尊寺毛越寺達谷窟(たっこくのいわや)の三か所だけ。世界遺産目指すすべての史跡めぐりをする予定だったのが、わずか3点を、それもお遊びモードで歩いたので、世界遺産登録の是非を、門外漢ド素人の私が「審査」してやろうという目的はすっ飛んでしまったのである。

◇建造物6件
 中尊寺金色堂平泉町)、金色堂覆堂(平泉町)、中尊寺経蔵(平泉町)、白山神社能舞台平泉町)、願成就院宝塔(平泉町)、釈尊五輪塔平泉町

◇史跡7ヵ所
 中尊寺境内(平泉町)、毛越寺境内附鎮守社跡(平泉町)、無量光院跡平泉町)、柳之御所・平泉遺跡群(*)、金鶏山平泉町)、達谷窟平泉町)、骨寺村荘園遺跡(一関市)
柳之御所・平泉遺跡群は、柳之御所遺跡(平泉町)、長者ヶ原廃寺跡(奥州市)、白鳥舘遺跡奥州市)の3つの史跡で構成。

◇名勝2ヵ所
 毛越寺庭園(平泉町)、旧観自在王院庭園(平泉町

重要文化的景観1ヵ所
 一関本寺の農村景観(一関市)
http://www.pref.iwate.jp/~hp0907/sekaiisan/index.html

 世界遺産登録を目指す対象は、コアゾーンたる上の「構成遺産」からなる。これを一日で回るのはしんどいし、駆け足で回ったところでたいして意味はなさそう。だからあのときはあれで、まあよかったと思うことにしている。

 「世界遺産」という世紀のブランドを手に入れようという平泉の熱気は感じられたし、その評判を聞きつけた観光客や、見物人のごった返す中尊寺毛越寺は、これはたしかに世界遺産にふさわしいといえるほどの威厳と風格を具えていると思った。

 その一方で、ちょっと視線をずらすと、見えてしまうのである。見たくないもの・見せたくないものが。とりあえず一枚だけ大きな画像を。

 まあ、日本全国どこでも見られるありふれた電信柱と電線と送電線の鉄塔なわけで。これが毛越寺のすぐそばにあるわけで。

 電信柱が地中化されたのは、平泉駅前から毛越寺までの道路だけ。町全体をこうすることはできないのかなと思うけれど、「岩手日報」サイトにはこんな記事が(太字処理は私)。

 「平泉町金鶏山に見える鉄塔。あれは何かの間違いだと思った」。

 国際専門家会議で現地視察した国際記念物遺跡会議(ICOMOS、イコモス)オランダ委員会委員のロバート・デ・ヨング氏は会見で尋ねられ顔をしかめた。
(中略)
 東北電力は2002年から、JR平泉駅周辺から毛越寺までの電線地中化を手掛け、07年には完了する予定だ。同社は「今後の計画は、国や地方自治体、企業などで組織する協議会の決定に基づき実施する」と説明する。JR東日本は「東北線のルートを変えるのは技術的な面で難しい」としている。
(中略)
 「平泉の文化遺産」国際専門家会議に訪れた中国や韓国の専門家は「平泉は世界遺産登録に値する都市だ」と高く評価した。

 しかし、中尊寺仏教文化研究所の佐々木邦世所長は、世界各国の世界遺産を視察した経験から「電線や看板がこんなにある世界遺産は世界中どこにもない。住民が、行政と一体になって業者を回り、説明していかなくてはならない。まずは、私たちが本気にならないと」と強調する。
http://www.iwate-np.co.jp/sekai/08touroku-kadai/08touroku-kadai.html

 これは2年前(2006年6月22日)のやや古い記事ながら、「住民が、行政と一体になって業者を回り、説明していかなくてはならない」はまったく同感であるばかりか、「本気」になるかどうかが世界遺産登録のカギになると思うのであるが、私が3日に瞥見した限りにおいて、「住民が、行政と一体になって」「本気」で世界遺産登録むけて取り組んだようには、どうも見えないのである。「本気」になり、努力した結果がうかがえないというか。画像がその証拠になるだろうか。

 きのうユネスコ世界遺産委員会の諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)が「平泉の世界遺産登録は延期」との勧告をだしたのは、岩手・平泉にとって大いに衝撃的だったらしい。その勧告の中身を「朝日新聞」岩手版紙面から貼り付け。

■イコモス勧告の主な内容

●平泉の全体の配置と庭園群との間における浄土思想との関連性が、「失われた文化的伝統または文明の存在を伝承する物証として稀有の存」であることの証明が不十分

●平泉の景観が「人類史上の重要な段階を物語る見本」であることの証明が不十分

骨寺村荘園遺跡と農村景観が、「人間とその環境の相互作用の例外的な事例」であることが証明しきれていない。荘園の地域は中尊寺経蔵に関係してはいるが、その空間配置に浄土思想が反映されていることの証明が不十分

●平泉と浄土思想の関連性が、日本の枠を越えて世界的意義を持つことへの証明が不十分

●推薦書は「平泉の価値は日本のみならずアジア、太平洋の同種遺産と比較検討を通じて明白」としているが、比較研究が世界遺産登録には不十分

●浄土思想の観点からの推薦資産の範囲について再検討が必要

●推薦資産は、個々の構成資産の空間的つながりを含む文化的景観の総体というよりも、個々の構成資産に限定されており、推薦資産の主題と推薦資産・緩衝地帯の区分のあり方の関係の整理が必要

 サイトでは見られないので記事をテキスト化した。昨年の石見銀山も「登録延期」の勧告がいったん出されたけれど、その内容はここまで“執拗”ではなかったらしい。以下も「朝日」紙面からテキスト化。

「文化的景観」へ努力必要 前イコモス本部副会長・西村幸夫氏(東大工学部教授)

 勧告は「平泉」が目指した世界文化遺産の四つの登録基準(?人類の歴史上重要な時代の例証?文明を伝承する物証の稀有な例?人間と環境の相互作用の例外的事例?顕著で普遍的価値)のすべてに注文つけた。相当厳しい内容だ。

 イコモスからは昨年来、浄土思想の「わかりづらさ」が指摘され、文化庁は「追加情報」で仏教の教義に詳しい説明を加えた。だが、勧告では「実証」を求めた。コンセプト重視でまとめた推薦書が、現場とズレが起きているのではないか。九つの構成資産と「浄土思想」の関連についても指摘されたが、説明を尽くすのは難しいだろう。

 今後は補足情報や反論書提出といった文書のやりとりとなり、地元でできることは限られてくる。

 推薦書は地形と遺跡の位置関係で「文化的景観」という概念を示したが、現状の景観、雰囲気がそれに関連しているとは言い難い。今のまちを長期的に「文化的景観」にあわせ、同じ方向を向かせるという地元の努力が、「登録」に近づくことになると考える。

 太字部分の「現状の景観、雰囲気がそれに関連しているとは言い難い」は、かなり痛烈な指摘であろう。イコモスの勧告は、平泉の文化遺産と、核となる「浄土思想」との関連性の証明が不十分であるとのことだが、それぞれの証明をきっちり果たせといわれても、すこぶる難問ではないかと素人の私などは思うのだ。西村氏も「説明を尽くすのは難しい」と半ばサジを投げている。

 そしてなにより、「現状の景観、雰囲気」に問題があることを指摘しているのだ。いまのままの街並みではダメ、町民の雰囲気ではダメだ、と。その改善策として「今のまちを長期的に『文化的景観』にあわせ、同じ方向を向かせ」よと本質を突く。早い話、街並みをそっくり造り替え、町民に革命的な意識改革を迫るのである。

 残念ながら、これはほとんど無理な相談である。平安時代の藤原の郷を再生させ、町民も時代劇のような生活に甘んじなければならないのだから。不可能ではないにせよ、限りなく不可能に近い。

 源頼朝が奥州支配の野望を達成すべく平泉の藤原氏に無理難題を押し付け、徹底的に叩き、最後には滅ぼした。平泉の街並みは、廃墟と化した。いまから800年あまり前の時代でもって、奥州藤原氏の興した平泉は歴史に幕を閉じたのである。その約500年後、1689年に平泉を訪れた松尾芭蕉は「夏草や兵どもが夢の跡」と有名な句を残したが、平泉の街はすっかり様変わりしていたという。頼朝によって灰燼とされた平泉は、二度と再生されることはなかったのである。さらに「朝日」岩手版サイトから引用。

◇作家高橋克彦氏の話◇

 「滅ぼされた側の歴史」という問題が、ここに来て改めて浮かんだと感じた。

 平泉ではいろんなものがずたずたにされ、それを今、発掘して取り戻そうとする過程にある。世界遺産委員会への推薦書では、浄土思想などを「すでに全体が分かったもの」として出したが、むしろ、これからの調査で全容が明らかになるという希望を持ち込むべきだったのかもしれない。

 7月の世界遺産委員会で万一、最悪の結果になったとしても、県民が「証明が不十分」と指摘されたことを真摯(しんし)に受け止めて一つひとつ改めて証明し、平泉の価値を今まで以上に伝えていく必要がある。
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000000805240001

 個人的には、秋田にもゆかりのある藤原清衡がつくった平泉文化が世界遺産に登録されることを願ってやまないが、このままでは危うい。なにかよい手立てはないものか。

 7月の世界遺産委員会で「延期」が正式に決まれば、ほんとうに残念なことである。ただし、推薦書の再提出と現地調査を経て、2年後がある。むしろ延期の勧告はチャンスかもしれない。

 2年で「本気」を出し示せば、あるいは――と2年後に照準を据え、気持ちを切り替えるが現実的かもしれない。