農薬を浴びたこと

 ニュースでの取り上げ方が下火になってきた中国産食品からの農薬メタミドホス検出騒ぎは、混入者どころか混入した国の特定にすら至らぬままで収まるのだろうか。

 食品はもとより、電化製品・家具・衣類・雑貨などなど、私たちの身の回りにはメイド・イン・チャイナだらけ。私が着ているシャツ一枚にしても、いま見たら中国製だったりする。仕事で来社する営業マンに中国人がいて、私の氏名の中国読みを教えてもらうなど漢字語圏ならではの“文化交流”もできちゃったりするし、中国へ工場をつくる日本の製造業者の意気込みだって、ひところほどではないがいまも衰えを見せない。

 つまり、日本と日本人は、中国という国家と、中国人と、中国製品にすっかり依存してしまっているのだ。東北は秋田のド田舎に住んでいる私でさえも。

 いま仮にメイド・イン・チャイナのすべてを日本国内から締め出すとなれば、たちまち国家が破綻し、国民生活も逼迫してしまうことが確実。

 だいたい食料自給率40%を割り込む先進国なんて、ね…。

 「中国製ギョーザから毒物が」――の第一報の日、日本テレビ系列の夕方のニュース番組では、中国のブドウ畑での農薬散布の資料映像を放送していた。黒いブドウが真っ白になるほど農薬漬けにし、毒々しい液体がしたたり落ちるといった、衝撃的映像であった(YouTubeとかにも上げられていそうな気がする)。

 あれを見たひとは、「中国の農産物は農薬漬けなんだ! 食ったら大変だ!」との印象を、確実に持つことだろう。その結果、海外産の食物を避け、多少高価でも国産野菜・果物の需要が伸びて、祖国の食糧自給率がいくらかでも上昇すればいいとは思う。そんな動きは見られないけれど。

 周知のとおり農薬が検出されたのは野菜などの食材ではなかったわけだが、テレビ局からすれば序盤の報道はあの農薬ベットリ映像でよいのだ。わが祖国・日本のマスメディアの無責任さというか、視聴者がビックリするような映像で視聴率を稼ごうとするテレビ局のいつものこすっからい手法は、かねてから書いているのであまり触れまい。

 さて、私自身が体験した農薬被害について少々。

 あれは9歳か10歳くらいの夏休み。虫捕り網を持って雑木林や田んぼに出かけ、虫探しである。獲物はセミやトンボだ。

 朝からカンカン照りの暑い日だった。神社の大木そばから田んぼの方へ行き、炎天下にてシオカラトンボを狙った。

 遠くヘリコプターの爆音が聞こえていた。

 農薬の空中散布ヘリである。

 大人から聞かされていた。ヘリコプターの下には近づくな、農薬を浴びるから危ないぞ、と。

 でもトンボに夢中になるあまり、私たちはヘリが飛び交っていようがあまり気にせず、直下でなければ大丈夫だろう、よもや死ぬことはないとたかをくくっていた。

 そのとき私は独り。シオカラトンボかっこいいな、オニヤンマならみんなに見せびらかして英雄になれるな、とガキの私は思いながら、近づいてくるヘリを気にも留めず、田んぼの畦を歩いてトンボを追いつづけた。

 バリバリバリ…と爆音が不意に大きくなった。気がついたらヘリコプターが、私のほとんど頭上を旋回していた。

 間近に見るヘリの巨体と轟音、猛烈な恐怖感に襲われ、泣き虫な私は泣き出してしまった。

 そのときである。頭がくらくらし、目に痛みを感じ視界が妙に赤らんで、口の中に異様な苦味と甘味を覚え、呼吸がむせた。

 「やばい…この場を離れないと…」と子ども心に思ったが、私はその場にうずくまるしかできなかった。

 ヘリはすぐ去っていったが、私は5分ほど、そこを動くことができなかった。

 ヘリが頭上にあったとき、そばを飛んでいたトンボがクルクルと奇妙な動きを見せ、ふらふらと落ちていったのはいまでも鮮明に憶えている。

 当時は田んぼの農薬散布にヘリコプターを導入するのが一般的であった。しかし農薬が民家や学校・公園といった場所に飛散するなど、危険性が指摘されたからだろうか、ほんの2〜3年でヘリは使わなくなった。ラジコンの小型ヘリならいまでも使われているけれど。

 子どもながら農薬は怖いと思った出来事である。あの当時用いられていた農薬はよくわからないが、いまでは使用が禁じられていると聞いた。幸いこれといった後遺症はないまま、私は大きくなったわけである。