『うたりたちの古里』

 いまから20年前、仙台で単身学生生活を送っていて、学校から帰る途中に立ち寄った小さな本屋で、ひとつの文庫本に目がいった。

 『つかのまの二十歳』というタイトルで、作者は畑山博集英社文庫だったと記憶している。

 そういえば俺もそろそろ二十歳だよな……。そんな感慨が不意に湧いて、その本を手に取ったのだった。

 中学・高校時代と、小説はむさぼるように読んだが、仙台に引っ越してから読書はほとんどしていない。パチンコばっかりしてないで、たまには読書を――と思い、裏表紙のあらすじを確かめ、これならそこそこ面白いだろうと買い込んだ。

 内容は、高校生の主人公が、家族を養うため通学をやめ、町の工場で施盤工として務めだす。不遇でゆがんだ青春期を送った作者の自伝的物語であった。20年前に読んだ本で、お世辞にも面白いとはいえなかったが、砂を噛むような苦みきった主人公の心境は、よく憶えている。

 その文庫本の解説文をだれが書いたかは忘れたが、こんな一節があった。畑山博の他の作品について触れたもので、『海に降る雪』と『うたりたちの古里』(旧題・風の通り道)が推されていたのである。

 『海に―』はすぐ見つかった。映画化もされていた。なかなか読める恋愛小説であった。映画も和由布子主演で公開されていて、心に残りうる作品だった。

 ところが『うたりたちの―』が、見つからないのだった。

 畑山は寡作らしい。どの出版社の目録をみても、文庫本はせいぜい2〜3冊。芥川賞作家とは思えぬ仕事の少なさ。

 新聞に載る文芸雑誌の広告にも、畑山の名前が出るのは年に1〜2回。売れない小説家なんだろうなと思っていたら、成人の日にNHKで放映される『青年の主張』で審査員だかに名前が連なることがあり、売れてないのによくわからん小説家だなと勝手に思ってもいた。

 いずれにせよ名の通った作家であることは変わらないのに、なぜか『うたりたち―』が不明なのだ。ネットが普及して、何度も検索してみたけれど、まったくといっていいほどないのである。あの解説文は何かの間違いだったのか。

 畑山が死去したのは2001年。宮沢賢治の研究家でもあったそうだが、いくつか読んだ作品にそんな気配というか、印象はまったく思い当たらない。『うたりたち―』はアイヌの少女の痛みと悲しみを描いた内容。そんなかんたんな紹介と、やさしげではかなげなタイトルに強く惹かれたのだけれど、どうも存在しないらしい、と諦めていた。

 三日前、たまたまグーグルでまた『うたりたち―』を検索したところ、『石の母』とかいう畑山の書籍がヒットした。

 それに『うたりたちの古里』が収録されていることがわかった。20年前の記憶がよみがえり、心が躍った。

 あらすじはわからないけれど、さっそく取り寄せようと思い、絶版なので古書店を扱うところで在庫を確かめ、すぐ送ってもらった。

 『石の母』は4作からなる短編集。きょう届き、いま読み終わったところだ。

 17〜18年ぶりに畑山博の小説を読んだが、一種独特ともいえる文体が懐かしい。難解ではないけれどあまり読みやすいともいえない。洗練されているとも言いがたい。それでいて主人公の心の葛藤や歯がゆさ、気持ちのモヤモヤが手に取るように読者の頭に伝わってくる。芥川賞を取っただけのことはあろう。

 さて、20年間想いつづけた『うたりたちの古里』は、どうだったか。

 期待はずれといっては20年の想いが無駄になるので言わない。「ああ、やっぱり畑山だ」と、さもありなんという気持ちと、ちょっぴり失望感が残った。読後の爽やか感とは縁遠い内容。主人公とおなじく、読者の心に重たいものを載せて締めくくられていた。

 やっぱりそういうスタイルなのだ、畑山は。

 『海に降る雪』はいい作品だった。でも心に何かしら引っかかるものが残った。芥川賞作品『いつか汽笛を鳴らして』もしかり。

 ともあれ『うたりたちの古里』、念願かなって手に入れ、読み終えたことでようやくすっきりした。それだけは本当によかった。

 畑山博、亡くなってからもやってくれます。

石の母 (1977年)

石の母 (1977年)