おんまはみんな

おんまはみんな


 おんまはみんな、ぱっぱかはしる。ぱっぱかはしる。ぱっぱかはしる。

 日本列島を乗馬で縦断しようとしたフランス人男性が、北海道で断念したというニュースが先ごろあった。断念した理由は車が多くて危険だから、というもの。北海道のような人口密度の低い、広々とした面積にめぐまれた土地柄でさえ、馬が公道を走ることは危険なのだった。

 馬が道を歩く光景なんて、お祭りとかでしか見かけることはない。やや大きな神社では境内の入り口に看板があり、「車馬の乗り入れを禁ずる」なんて表記されているから、かつては馬車が道を行きかうのはありふれた光景だったにちがいない。でもいまでは馬とくれば、競走馬か牧場、観光・お祭り用の道具でしかないようだ。

 私の住む町では、40年くらい前まで農家で馬を飼育しているところもあったらしい。田畑の開墾や伐木の木だしなどで、季節を問わず農耕馬が活躍する場があったのだ。それがいまではすっかり機械化し、飼育や世話に人手間のかかる馬は「いらない」存在となってしまった。私自身、地元で農耕馬を見たことは一度もない。牛や豚はいまでもいっぱいいるけれど(それでもずいぶん減った)。

 東北は古くから馬の産地だった。物資と交換に、金などとともに朝廷に献上する(搾取された、というべきか)重要な資源であった。冷涼な気候と広大な土地、エサになる雑穀が豊富につくれることが大きかった。岩手県遠野市に多く見られる民間信仰オシラサマは、人間の娘と馬との悲恋物語が下地になっている。地名には「駒」の文字がある場所も多く、「馬の糞」はどこにでもあるものの代名詞として、年配層にはいまでも通用する。

 いかめしい鎧をまとった武士が、馬に乗ってさっそうと駆けてゆく。時代劇でよくみる場面だ。そんな勇ましい姿は、東北人が影で支えていた。武士が馬の蹄の手入れをしたり、馬小屋に連れて行ってエサを与え、糞尿にまみれたワラの交換作業をしたりしたものなのかどうか。馬の世話は、たいてい手下が行っていた。でも時代劇でそんな裏方がクローズアップされることは、まずない。

 馬なんて競馬かお祭りだけで充分。余った馬は馬肉にして食えばいい。大方の日本人はそう思っているのだろう。思わずとも容認していることはまちがいあるまい。

 きのう盛岡からの帰途、いつもとは違う道を行ってみようと思い、国道46号を秋田県に向かって仙北市(旧田沢湖町)へ入った。途中、「森の駅」という看板があって、産直販売のお店のわきに馬がつながれているのが目に入り、寄ってみた。

 白馬だった。観光向けの馬で、敷地内一周、乗せて歩いてくれるそうだ。鞍が重たそう。

 間近で馬をみるのは初めて。馬って大きいんだな。恐る恐る近づくと、前足でくいっくいっと砂をはじく仕草が可愛らしい。

 ほかの客が近づいて顔をなでている。ちっとも嫌がらない。私も手を差し出して、細長い顔をなでてみた。やわらかいのだね、馬の顔って。大きな体に似合わぬやさしげな目が印象的だった。

 つながれているので身動きは自由になれない。乗りたいひとがいればいいのだろうが、私のみているときは乗馬希望のお客さんはいなかった。ケイタイで写真を撮る若者がちらほら。私も手持ちのデジカメで写してみた。

 おんまはみんな、ぱっぱかはしる。

 珍重されやすい白馬が、国道沿いで見世物にされている。毛並みは素人目にもよかった。競走馬には遅く、受け入れる牧場がなければ、多くの馬は食用となって屠殺される。運動させず、飼料をふんだんに与えて肉をやわらかくさせてから、殺す。

 この白馬は見た目によいしカッコいいから、屠殺場いきはまぬがれたのだろう。

 ぱっぱかはしる。