岩泉町へ

早坂高原にて


 仕事のことはあまり書かないようにしているけれど、今回の日記はきょう一日を振り返ってみる。

 いま盛岡オフィスにいて、岩泉町へ出張に行くことになった。岩泉は「龍泉洞」で知られる沿岸の町。龍泉洞は天然の洞窟で、北上山地では一大観光地として有名だ。

 もちろん観光で行くわけはない。あくまで社用。

 盛岡から国道455号をひた走り、北上山地分水嶺になっている玉山地区藪川に達する。ここは本州で一番寒いといわれているところ。

 そこを過ぎると早坂高原だ。ここから岩泉町になる。この高原は、戦前戦後入植した人たちが、林業農業・放牧で生計を立てている場所で、牧場や造林地が広がり、土着の住民との入会権でもめた経緯がある。

 道路沿いには「○○社管理地」みたいな立て札が、かつてはあちこちに見られていた。山菜・きのこ取りでさえ進入は許すまじと、有刺鉄線の柵で囲われていた地域も。

 いまでは過去の話だけれど、ダケカンバや白樺の緑が目にやさしい森を眺めると、わが祖先の森を勝手に「国有林」にして、東北の自然を食い物にした、都会の資本や政府のお先棒かつぎ連中の薄汚さか際立つばかり。

 盛岡の郊外から、ケイタイ電話はまったく使えない。岩泉町の中心部に入るまで、まことに気が楽だった。

 龍泉洞に近いところに目的地がある。社用を手早くすませ、時間が余ったので、ローカル鉄道としてもファンには有名な岩泉線の終着駅・岩泉駅へ行ってみた。

 一日のダイヤはわずか3本。朝夕と午後一番、それだけ。乗客などどこにもいない。なにかの工事関係者らしきふたりが、長いすに寝そべって昼寝をしていた。

 切符売り場は閉じられていて駅員の気配もなし。ホームへいく改札ももちろん無人だ。そのままホームへ行き、線路に降り立ってみた。

 線路は赤くさび付き、枕木はところどころ朽ちている。

 それでもこの路線は地元の足として、立派に機能している。

 盛岡へ戻る。来た道を帰るだけ。

 早坂高原は盛岡と岩泉を結ぶ重要なルートの、一番の難所だ。いまバイパス工事が佳境にあり、長大な隧道(トンネル)が先ごろ貫通した。開通はまだ先だが、道がよくなればなるほど、田舎は過疎が進む。

 早坂高原頂上で道をはずれ、牛を放牧しているところへ行ってみた。

 こげ茶色の肉牛が50頭ほど、広々とした牧場にてのんびりと草を食んでいた。冷涼な気候のもと、質の良い和牛がこうして育まれる。

 暮れなずむ北上山地の眺めが雄大だ。