高橋克彦著『火怨』を読んで

 いまさら言ってもしょうがないけれど,もっと早くに読むべきだったとあらためて思った。高橋克彦著『火怨 北の耀星アテルイ』(上下巻=講談社文庫)。古代東北の先住民・蝦夷(えみし)の英雄アテルイ阿弖流為)とモレ(母礼)の生涯を,壮大なスケールで描いた歴史小説だ。

 正直,かなり面白かった。率直にいって後世に耐えうる名作である。

 乱歩賞と直木賞を獲得し,本作においても吉川英治文学賞を受賞するなど,いまや立派な「文豪」となった高橋克彦の著作を,私はこれまでほとんど読んでいなかった。というか小説そのものを30歳過ぎてからめったに読まなくなったし。過去に読んだ唯一の高橋著も,人形師を題材にしたミステリーだったような曖昧な記憶があるだけでタイトルすら忘れた。あのときはたいして面白いとも思わなかったが,中身はかなりこだわってるなーと感心したのを憶えている。

 本作『火怨』は読後,ともかく秀逸であると思ったが,実は読みはじめはそうとも見なかった。上巻序盤から下巻の中盤あたりまでは,なんか味気なさを感じていたのだ。大人向けじゃないというか,なんだかまるで少年マンガ紙を読んでいるような感覚。少年週刊ジャンプとかマガジンの作風を指して以前からよくいわれる「友情・努力・勝利」の三拍子が,『火怨』にそっくり当てはまっているのである。

 物語は,おおまかなところは史実に沿って描いているとして,蝦夷の登場人物が,あそこまで潔くて慎み深くて義理固くて格好いいのか,いささか持ち上げ過ぎではないか,と。いっぽう,蝦夷と対決する朝廷軍の指導者たちが,蝦夷とは対照的に,あそこまで不甲斐なくて無能でだらしがないものなのかどうか。

 小説なのだから著者のオリジナルの部分も少なくないだろうが,アテルイ・モレらの軍勢が北上川西岸にて征東将軍紀古佐美率いる朝廷軍を撃破したところなどは事実だろう。ネットでも簡単に調べがついた。ただ終盤でアテルイ坂上田村麻呂との決戦を繰り広げ,やがて降伏するいきさつは記録がないらしい。蝦夷が朝廷軍に敗れたのは確かだろうが,そのあたりを高橋克彦は,これまたえらく格好よく描きとおしたものだ。と同時に,その緻密で周到な,岩手を主体にした蝦夷の地の時代背景および人物の内面の描写に,ため息が出るほど。

 地名を現在のものにほとんどを置き換えてくれたのもありがたい。胆沢・衣川・花泉紫波・東和などなど,岩手で過ごす時間が多い私にはすぐさま場所や地形が浮かんでくる。各集落を統括する蝦夷の棟梁も名前をそのまま使っているのだろう。アテルイだけじゃなく,岩手には実に多くの,尊敬すべき蝦夷が散っていたのだなと。もちろんアテルイ・モレらがあって,各棟梁の存在意義が輝きを増したのだろう。

 となりの出羽,つまりわが秋田はどうだったのか。朝廷軍が出羽に駐屯していた記述がいくつも見られたから,秋田にもきっとすぐれた蝦夷の棟梁が存在していたのだろうが,それを高橋克彦さんの調査に甘えてはいけない。私自身が自分で発掘…は無理でも別に資料を探そう。

 最近読んだ高橋崇著『蝦夷の末裔』と金野靜一著『新・みちのく物語』は,安倍氏清原氏の時代を描いた資料。本作は創作なれど,もっと古いアテルイの時代を舞台にしている。先に少年向けみたいなことを書いたが,実際『火怨』は私のような濁った目の大人ではなく,澄んだ子どもの目で読むのがふさわしい。われらが暮らす東北の楽土を,命がけで守り抜こうとした男がかつていた。アテルイとモレ――。10代20代の若者こそ大いに読んでほしい。

 岩手がうらやましいな。だれもが誇りに思える偉大な先人がいて,それが近世の政治家とか軍人とか学者とかスポーツ選手ではなく,遠いはるかな昔の,古代東北の先住民・蝦夷のひとりだったなんて。秋田にはいないのかね,アテルイほどじゃなくてもいいから,秋田県民がこころから誇れる蝦夷の英雄が。

 ともあれアテルイに関する書物を読んだのもこれがはじめて。これからもっと読むぞー。

火怨 上 北の燿星アテルイ (講談社文庫)

火怨 上 北の燿星アテルイ (講談社文庫)