東北をなめている「新しい歴史教科書」

 やや古いけれど,『岩手日報』2001年6月30日付に富士大学の川島茂裕助教授(当時)が,「蝦夷を悪者扱い」と題して,某社発行の歴史教科書が,古代東北の先住民・蝦夷(えみし)の描き方を「悪者扱い」していることを指摘していました。

 もう6年も前のコラムをいまここで取り上げる理由はあとで書くとして,川島さんの一文をここに要約・引用します。

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 小中学校教科書の検定がおわり,その見本本が岩手県内各地で展示される機会に,岩手県関係の記事を各社歴史教科書で読み比べてみた。なかでも古代蝦夷については,ほとんどの教科書で,当時の蝦夷中央政府に対して抵抗した事実を記述している。

 ところが,F社には突出した特徴がみられる。「律令制の拡大」という項の中で,「東北地方などの辺境の地域へも,しだいに律令の仕組みを浸透させていった。特に東北地方に住む蝦夷の人々の反乱に対しては,坂上田村麻呂征夷大将軍として朝廷の軍勢を送り,これをしずめた。こうして律令国家の領域は,さらに拡大した(中略)。田村麻呂は蝦夷の反乱を治めたとき,その首謀者アテルイの命を助けてほしいと朝廷に願い出ている」と述べ,アテルイは反乱の首謀者,田村麻呂は「武勇が特にすぐれ,人を指揮する能力が目覚ましかった」英雄として扱っている。征服・侵略史観的叙述である。

 この傾向は,他の東北関係記事でも一貫している。例えば「11世紀の後半,東北地方で2回にわたって戦乱がおこった(前九年の役後三年の役)。後三年の役源義家は,関東の武士を率いてこれをしずめた。このことにより,源氏は武士の信望を集めて,大きな勢力をもつようになった」「(源)頼朝は,対立するようになった義経が奥州の藤原氏のもとにのがれると,その勢力を攻めほろぼして,東北地方も支配下に入れた」「(豊臣秀吉は)関東の北条氏をほろぼし,伊達氏など東北の大名も従えて,全国を統一した」とある。

 このようにF社は,東北地方の住民を中央政府の征服,支配領域拡大に反抗する鎮定の対象,いわば,悪者として描いている。

 K社では,「わたしたちの住む,岩手県田野畑村には,三閉伊(さんへい)一揆とよばれる江戸時代の百姓一揆に関する碑がたてられ,さまざまな資料が残されています。150年以上も前のできごとを地域の人々は語りついできたのです」と一ページにわたって叙述しているのと対照的である。

 (そして川島さんは,東北人の視点から「教科書問題」をこう総括しています。)

 F社の教科書は,おもに近代史の部分について国内外から批判を受けた。前近代の東北・岩手を焦点に絞った検討によっても,大きな疑問を持たざるをえないという結論に至った。

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 F社とは扶桑社のこと。かの歴史教科書問題で,関係アジア諸国を巻き込んで大きな論議を呼んだいわくつきの教科書の発行元です。産経系の。

 このころの中学教科書採用で,扶桑社版の歴史教科書はとるにたらに採用率でした。たしか0.04%。おととしの場合もわずかに増加したものの,採用率はコンマ以下。東北・北海道では扶桑社版歴史教科書はどこも使っていないはずです。

 この日記は,『岩手日報』のコラム記事コピーを手もとにおいて書いています。6年前の記事をわざわざ引っ張り出してネタにしたわけは,いま高橋克彦著『火怨 北の燿星アテルイ』(講談社文庫)を読んでいて,アテルイ没後1200年ころに新聞紙面を飾ったニュースで,ひときわ印象深い記事を思い出し,ここにメモ代わりに書いておこうと思ったからです。

 まあ6年前のお話ですが,後三年の合戦後の義家の描き方からして,産経子飼いの「新しい歴史教科書をつくる会」て,知能の程度が中学生並みというか,烏合の衆かと思いたくなります。いや東北をなめてるんでした。ふざけてるんでしょうか? それはそうとおもしろいですね『火怨』,読むのが遅すぎたけれど。感想も書くつもりです。