報道を批判する声の効果

私の読んでいる新聞を,わが家や各オフィスで購読しているのを含めて,まとめてみました。

朝日新聞
河北新報
秋田魁新報
岩手日報

以上の4紙です。あと赤旗日曜版とか県生連の週刊新聞も読んでいます。以前は聖教新聞赤旗(日刊)も購読していましたがいまはなし。毎日新聞とか読売・日経・産経は読んでいませんが,必要があれば図書館へ行ってコピーします。ほとんど県内版ですけれど。

春から社会人になるひとは,職種にもよると思いますが,これから時事問題にそこそこ関心を持つ必要にせまられます。それらの媒体として有効なのが新聞なわけですが,いまはどこの新聞社もインターネットで記事を配信していて,かさばる新聞なんか読む必要が薄れてきているのも事実。

でも実際の活字を追うことはやめてはなりません。新聞を購読することで社会の移り変わりを肌で知ることをやめてはだめ。番組欄でも4コマ漫画でもいいから,新聞を毎日読む習慣をつけましょう。一日の知的生活は新聞から始まります。

さて本題。新聞でよく目を通すものに,広告欄があります。週刊雑誌が多いです。大きな見出しで恣意的,あんまり物事を考えることなく,単純明快で,読者の脳にストレートに入ってくるうたい文句が多いですね。

その週刊・月刊誌の広告で,毎週・毎月かならず登場する新聞社名といったら?

 朝日新聞

ですね。それもほぼ100%,非難・批判です。その矛先も記事・論調に対するもの,記者個人に対するもの,報道姿勢に対するものなどさまざまありますが,「朝日」の名前が冠される内容であることがまず第一なのです。「朝日記者」「朝日販売所」「朝日勧誘員」などなど。毎日・読売新聞とかの批判記事なんてめったに見かけません。統計とってみれば一目瞭然でしょうが。

なぜ朝日だけが批判の対象になるのでしょう? それは簡単にいえば,「他紙とは違う」からなのでしょう。どこが違うのかといえば,まあ記事に関してはスタンス,記者個人に関してはまさしく“個性”が,他紙に比べて突出している部分がある,という点かな?(そうでもないと思うんだけどね)

こんな話を聞いたことがあります。といってもジャーナリズム界では常識中の常識だそうですが,朝日を叩くと売れるんですね,マジで。毎日とか読売を叩いても売れないんだそうですよ。

新聞社内の不祥事はどこの新聞社でもありますが,とりたてて上質ネタになるのが朝日なんだそうです。同じ不祥事でも,たとえば朝日のサンゴ事件と毎日新聞の社長誘拐事件(不祥事とはいえないが)とでは,週刊誌の扱いに大きな差があるのです(サンゴ事件と社長誘拐,どちらが大事件なのかね……いまWikipediaみたら毎日新聞の項目でこの前代未聞の大事件が書かれてなかったし笑)。

記者個人に関する印象についても,まあ私の知るせまい範囲内でいうと,朝日記者はたしかに多様です。むかつく記者もいれば人柄のよい記者も変わり者もいて,個性さまざま。でも他紙には,個性的な記者は少ないみたい。言い換えればフツーの人が多いとみたなあ。

朝日新聞だけがかくも週刊・月刊誌から攻撃される。言い換えれば毎日や読売では雑誌ネタにならないというわけ。朝日を叩いていれば売れる。読者が獲得できる。とくに不祥事だとメチャおいしい。売れないとき・ネタがないときの朝日頼み。

朝日新聞を叩いて部数を伸ばそうなんて,発想が貧困な気がします。どうせなら朝日記者が悔しがるような「朝日的」記事を書けばいいのに。分野は社会・文化・科学・政治などいくらでもあるでしょうに。え? それじゃ売れないって?

私もいっぱしのライターをかたることがあるので,朝日なり各紙を読みながら「俺ならこういう取材をしてこういう記事を書く」としか思わない。記事が間違っているとかであれば批判して糾そうとするのは当然ですが,そうでなければ本来の仕事で勝負すべきでしょう。

ただ,批判・非難にはこういう見方もできます。朝日を叩く意図は,朝日に対して「やめろ。そういう記事は書くな・報道するな・取材するな」との裏返しでもあるわけです。意に添わない報道は許さないぞと。

つまりは,朝日をデタラメだのウソだの捏造だのと批判する人たちや雑誌,そうした反朝日の声が高まる現象は,朝日新聞の仕事が正しく,効果をあげている証拠でもあるのですね。

そんなわけで朝日新聞にとって朝日を叩く声は,共感や支持よりも,はるかにうれしい糧といえるのです。

俺も批判うずまくルポを書いてみたいわ…。