『週刊新潮』が報じた『週刊金曜日』主催の「集会」の記事のこと

ひさびさに時事ネタを書いてみます。

週刊新潮』は『週刊金曜日』という会員制週刊誌が主催した「ちょっと待った! 教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」という集会を報じ,その内容を“詳細”に報告してくれました。全文を貼り付けたいところですが著作権に触れそうなのでやめておきますが,「陛下のガンも笑いのネタにした『皇室中傷』芝居」という見出しで,「皇室中傷芝居」の一部始終を書き連ねたほか,主催者・出演者・参加者の声を挙げ,「集会」を批判的に報じています。

参考URLhttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/865380.html

匿名掲示板でもこの記事はかなり話題になり,その大半は『金曜日』に対する批判・非難であふれています。したがって数の論理でいけば『新潮』記事を指示する声が圧倒的に多数で,『金曜日』を擁護する向きは微々たるもの。少数でありたいと思う私としては『金曜日』を擁護したいところですが,これほど怒涛のような「金曜日憎し」の洪水の前にはさすがに足がすくんでしまいます(笑)。

それにしても『新潮』記事はなかなか巧妙です。記者自身はあくまでありのままを伝えるだけにとどまり,関係者の声として,以下のような談話を載せているのです。

「笑い声なんてなかったですよ。何て下劣なことを言うのか、と思わず拳を握りしめてしまいました」

「その後も園遊会で来賓とお話をする両陛下の物真似で、笑いをとっていましたね。憲法教育基本法の集会だと思っていたのに、結局、この人たちがやりたかったのは、安倍晋三のこきおろしと、皇室を中傷することだけだったんですね」

「そうですか。まだ(永氏らは)そんなことをやっているのですか。呆れますね。下品です。自分に置き換えて考えてみればいい。自分の孫が猿のぬいぐるみにされて、放り投げられたり、病気のことを揶揄されたりしてごらんなさい。人権に対する意識も何もない。彼らは、いつもは人権、人権というくせに、実はそれが彼らの正体なんですよ」

したがって,紙面なりネットでこの記事に触発された読者らはいっせいに『金曜日』を叩くまくるという現象が発生しました。いまこれを書いている時点ではもう収まっているでしょうけれど。

ここで仮定の話。私もいちおうモノカキのはしくれですが,もし自分が『新潮』記者か編集部員だったらどういう記事構成にしていたでしょう。

おそらくこう書いていました。「皇室を中傷する行為を取り締まる法律を整備・施行すべきだ」

天皇陛下やそのご家族をこきおろすなんて日本人としてあるまじき行為。奴ら反日分子は徹底的に糾弾し,犯罪に問うべく法制化を急げ,と。

『新潮』記事を読んでそう思った方々はいないのでしょうか。いないわけありません。というか,なぜ『新潮』は「皇室中傷を取り締まれ」と書かなかったのか,あるいはその意見を識者の見解として載せなかったか,不思議といえば不思議ですね。

もしかしたらこの記事が,そのきっかけになるかもしれません。不敬罪治安維持法復活の。その世論はじわじわと膨らんできていることは自明ですから。すくなくともいま「皇室を中傷したら刑罰に処せ!」という意見に賛成する声はかなり多いと思われます。記事に対する反応を見れば一目瞭然です。

さあ自由民主党政治家のひとりが「反皇室を取り締まるべき」と発言したとします。これが一定の支持を獲得したとみるや,乗り遅れまいとする新たな「有志」がつぎつぎと現れ,「皇室尊厳法案」(仮称)が衆院に提出され――(中略)可決・成立,とあいなり,21世紀の不敬罪が成立・施行。

そして早晩,皇室中傷を警察が捜査する日がくるでしょう。

だれかが,職場で,学校で,電車内で,居酒屋で,床屋で,銭湯で,病院の待合室で,タクシー車内で,ネット掲示板やブログで,皇室を中傷する声を聞いたりメモ書きを見つけたら,ただちに警察に密告するでしょう。密告を奨励する政府広報が新聞紙面を飾るでしょう。

そしてあちこちで逮捕・検挙が繰り返され,関係者の自宅や職場は家宅捜査され,親戚知己友人交友関係すべて過去から徹底的に洗われるでしょう。

家族や親戚が「皇室尊厳法案」(仮称)で逮捕された一家はどうなるでしょう。学校でいじめられ職場を追われ,白い目で見られ後ろ指を指され,家に落書き放火され,路頭に追い出され野垂れ死にという素敵な終末が用意されるでしょう。

皇室中傷は表向きなくなり,人々は皇族について賞賛絶賛尊敬以外の言葉を発しなくなり,口をつぐむでしょう。一部の人種は皇室中傷につながる言動に目を光らせ耳をそばだて,特攻服の若者とまがまがしい街宣車を待機させ,疑惑アリの人から金を巻き上げるシノギを展開させるでしょう。

こうして,『金曜日』を叩いた人たちが目指す日本がめでたく完成するでしょう。

このような過渡期をリアルタイムで見られるのは,ある意味巨大隕石が地球に衝突する瞬間を目撃するに次ぐくらいレアなことなのかもしれません。

もちろん仮定の話ですが,仮定ですまない可能性は日に日に増しています。いずれにせよ,“戦前”がまたいっそう,近づいたようです。

(この日記は多少添削するかもしれません)