右翼は正しいのダ★
前の日記に関連する内容。てか連動するかたちで書いておきます。
仕事で東北各地を回り,土地の言葉に触れる機会が多いので,同じ東北でも行く先々で微妙に違う地の方言に感嘆したり,驚いたりすることが出張の醍醐味でもある。
日本という国よりも,郷土・地域の文化・風俗・言葉にこだわり抜く『極右』を自認しちゃってる私は,東北に限れば秋田はもとより岩手(南部・気仙)や宮城(北部・仙台),青森(津軽)・山形(村山・置玉・庄内)の各方言を,ほぼ完璧に理解でき,半月も滞在すれば自在に使いこなせる自信があったりする。
いずれもとても耳あたりがよく,やわらかなやさしい言葉だ。東北弁に乱暴な言葉づかいは,まず存在しない。でも残念ながらいまでは標準語が進出してきたため,上記のうち仙台弁を使いこなせる人は年配だけになり果ててしまった。
東北弁などのいわゆる方言,こうした言葉の文化は,東北新幹線の開業にともなって侵食を受け,次第に破壊されていったという。仙台弁は早晩,消えてなくなる運命にある。日本の文化を大事にするようにある種類の方たちは主張し,ときに強制するけれど,地方の文化にはあんまり関心を持たないのも特徴のひとつだ。地方は東京に隷属させるべき存在なのだろうから。
前置きが長くなったが,まだ前置きが続きますです。
出張先で出会う言葉の中で,とくに印象深いのが山形県の沿岸部・通称庄内弁だ。ほかではまず耳にしない単語・言い回し・イントネーションは新鮮だった。『たそがれ清兵衛』(山田洋二監督)は幕末の庄内藩を舞台にした映画だが,俳優のセリフはほぼ現実に沿っていて,内容的にも世界に通用する秀作である。
その庄内地方の鶴岡市へ,10年ほど前までよく出かけていた。ホテルや街角であの耳あたりのよい言葉を,年配の人はもとより小中学生も当たり前のようにしゃべっているのを聞くと「ああ,ここは庄内だな」と感慨にふけったものであった。
街の人の気性もみな穏やか,水はきれいで食べ物は新鮮,由良海岸の海はどこまでも蒼く,雪渓の残る月山の雄大さはいまも目に浮かんでくる。ああいうところに住みたいものだと思った(庄内に限らず東北の出張先ではたいていそう思う)。
ここに悪い人はいまい,いまもそう思っている。
ここからようやく本題です。
山形県選出の自民党代議士・加藤紘一さんの実家が何者かに放火され,全焼したのが今月15日(火)。その実行犯とされる男がきのう逮捕されたという。
放火後に腹切り自殺を図って治療を施され,回復してきてから任意で事情を聞いたら犯行を認めたためだとか。「計画的犯行」と報道にある。
山崎拓サンとともにYKKともじられるほどの盟友である小泉サンは,おとといようやくこの事件について「許しがたい」などとコメントを出した。容疑者はいわゆる右翼団体の構成員で,加藤さんが小泉サンの靖国参拝について批判的な言動を行っていたことが犯行の動機とされている。加藤さんは靖国問題以外にも,自衛隊の海外派兵や憲法改悪などについて政府をいさめたりしていたから,なにかと“目をつけられていた”のかもしれない。
加藤さんは,自分の政治的発言が被害の理由であることを承知で,「これからもいままで通りの主張をつづけていく」と殊勝に語ったが,母親を焼き殺されかけた怒りをどこまで持続できるだろう。
加藤さん程度の人物ですら,「右翼」と呼ばれる人には存在が許せないのか。それとも容疑者が極めて特異な人物であったのか。
ふと思った。加藤さんのような発言を,他の自民党議員はどれだけ真似できるだろうか。自由と民主主義を守る政党のエリートとして。
それにしても警察はなにをしていたのだろう。
年号を逆算すればいつでも思い出せる事件がある。1990年,被爆地・長崎市の市長が,背後から至近距離で右胸をピストルで打ち抜かれた。市長は天皇の戦争責任をめぐる発言が物議をかもし,警察から厳重な警備を敷かれていた。その矢先の暗殺未遂事件だった。
逃走した容疑者は逮捕され,市長は一命を取り留めたものの,長崎県警の警備担当責任者は,なんら進退伺いを提出しなかった。
いっぽう1992年,山形で国民体育大会が行われた。いわゆる「べにばな国体」だ。観覧席には天皇夫妻がいた。
開会式の最中,一人の男が「天皇訪中反対」と奇声をあげて前列方向へ飛び出した。皇后がとっさに上体と手を動かした。
男はすぐに取り押さえられた。半年後,国体の警備を担当していた県警幹部が辞職した。
政府自民党の大物代議士の生家が放火され全焼し,政治家の実母が焼き殺されかけても,山形県警本部長は任期をまっとうするだろう。
マンションにビラを配っただけで110番通報される。
通報を受けた警察は8人以上の警察官を現場へ派遣する。
断固として逮捕する。注意のち放免,はない。
容疑者を23日にわたって拘留する。裁判所もこれを認める。
お隣のお隣の国でなく,日本・東京での話だ。すべて本当のこと。普通のこと。
似たような話で,社会保険事務所の職員が政党機関紙を配り,国家公務員法違反容疑で逮捕・起訴された事件があった。
警察はこの被告を,事件前からのべ171人も動員して半年以上も尾行・張り込みを行っていた。その姿勢を問題視する報道がほとんど見当たらないところをみると,これが普通であり,当然らしい。
公安警察。ひとりの政党員をここまでマークすることで,どんな「公安」を守ろうというのか,田舎者には理解できない。警察が守っているのは「公安」でなく「思想」ではないのか。
話がそれたが,庄内の平和をひっくり返した男を,警察はマークしていなかったことは確か。「計画的犯行」が計画どおりに実行されたのも当然か。
そしてこの事件を未然に防げなかった(防がなかった?)公安(思想?)警察も責任を問われないのが,普通であり,当然なのである。