『ゲド戦記』 宮崎吾朗氏への手紙

ジブリ最新作にしてこの夏公開映画の目玉『ゲド戦記』を観てきました。盛岡の通称映画館通りにあるシネマです。レイトショーです単独です。館内の音響がステレオじゃなかったオーマイガッ。ではひさびさに,感想がてら映画評といってみましょう。

岩波書店から出されている原作はアーシュラ・K・ル=グウィンが書いたもので(清水真砂子訳),『指輪物語』『ナルニア国物語』と並んで世界三大ファンタジーに数えられているそうですね。どこのだれが決めた「世界三大」なのか知りませんが。

そんな畏れ多い?作品をアニメに仕立てた日本人は,巨匠宮崎駿の子息・吾朗氏。父親の威光を借りるなんてつもりはないのでしょうが,なにかにつけて父親と比較されることはやむをえないでしょう。私も比較するのって大嫌いだけれど,ジブリの名を貶めるような作品であれば遠慮なく酷評をぶつけます(ちなみにこの一文はジブリにメールで送信する所存です)。

まず感想から。

ジブリ」の映画を観たい人たちにとっては,まずまず合格だと思います。正直言っておもしろかった。最初から最後まで観客を飽きさせないことが第一条件ですから。

失敗例を挙げるなら『ホーホケキョとなりの山田くん』(高畑勲監督)。いかに監督が優れ者で内容にこだわっていても,観ている途中で帰りたくなるような映画は失敗作。本作はその条件を軽々とクリアしていました。大人から子どもまで安心して楽しめる作品であります。

以上,感想終わり。では取材モードで見た評価を述べてみます。ここからが本題です。

ぶっちゃけ私は原作をまったく読んでいません。だからストーリー展開についてあれこれいう立場にはありませんが,原作をくわしく知る方のブログを参考までに調べてみたら,かなりの悪評でした。

ひとことでいうなら「全く別物」なんだそう。原作は,単行本が6巻だか出ているそうですね。それを2時間ちょいに圧縮するなんてありえない。だからお話の核心をどこからか引っ張ってこなければならない。映画の舞台は第3部が下地になっているそうですが,それでも「全く別物」とのことでした。

まあ原作と映画とのギャップうんぬんについては,ほかの方へまかせましょう。テーマを個別の件にしぼって論じてみます。

音楽。ジブリ映画とくれば久石譲ですが,本作では寺嶋民哉を起用しましたか。道理でちょっとちがうと思った。久石譲雄大で包容力あるBGMより,寺嶋民哉のやんちゃな自然主義を買ったのですね。音楽はたしかによかった。でもこれまた久石譲ならどうだったろうと考えてしまう。まあOKとしましょうか。

声優。岡田准一て…V6の彼ですか。ほかは菅原文太手嶌葵・田中裕子etcが主要陣。やはりプロの声優さんは起用なさらなかったのですね。手嶌葵ちゃんの棒読みが黒光りしていましたわ。次回あたりからぜひプロを使ってやってください。

キャラクター。とくに名前。これは製作側の意向とは別なのかもですがね…名前に「ハイタカ」ですか? それって実在する野鳥の名前なんですけど。小型のタカなんですよ。で,作中に出てくるタカはイヌワシかな? イヌワシは海沿いの町になんかいません。舞台が高層湿原ならべつですがね。んでもって鳴き声が,あれはサシバ? ノスリ? ワシタカ類がごっちゃになっていますね。ハイタカという名称はやむをえないとしても,モデルにするタカくらいこだわってほしいです。猛禽類を日ごろ観察している私としては結構気になるんです。

設定。テルーとテナーが住んでいる農家の場所って荒地だか草原の丘の上になっていますね。あんなとこで農業なんてほとんど不可能じゃないでしょうか。水をどうやって確保するんですか? 湿原がそばにあるからって,水は上昇したりしません。高い山々に囲まれているならともかく,そうした風景は見られなかったし。また家に通じる道の様子からすると,あのあたり一帯は地すべり地帯かもですよ(汗),テルー一家を早々に避難させてあげてくださいな。

ウサギどもに破壊された畑に植えていた苗はナスかな? まさかサトイモじゃないですよね,サトイモは水をじゃんじゃん上げないと育ちませんしね。見る人が見るとこうしたささいなところにもクレームをつけてしまいたくなるんです。女手ふたりでヤギの放牧を兼ねているみたいですが,きっとあのヤギたちは食用ですね。でないと生活できない設定になっていましたし。ハイタカとアレンのお昼ご飯に,パンとチーズに赤タマネギをサンドしていましたが,チーズはヤギ乳が原料としても,パン生地の麦畑ってどこでしょう?

作画。部分的にかなり手を抜いているんじゃないでしょうか。街なみの光景は力を入れていますね,あのエネルギッシュな作画は,おそらく韓国人スタッフを起用した部分でしょう。ところがです。テルーの家周辺の草原の映像はきれいに見せかけていて,あれって実は面倒になって同じシーンを使いまわしたりしていません? 私の思い込みかもしれませんけれど。

父君の場合だと,映像には実に細部にわたってこだわり抜き,いっさいの妥協を排した姿勢が高く評価されていましたが…『ハウルの動く城』では,自然風景の描写において遠景・近景いずれも実にリアルな作画に,登山が趣味の私は度肝を抜かれたものでした。吾朗氏はそんな頑固一徹な父親に反発を抱いてか,あのような「均衡」を損ねる結果におちいったりはしていませんか。作中には「均衡」という言葉が随所に出てきて,そのスタンスは大いに買いますけれど。アレンが父親を刺し殺すシーンについて,各方面で「背後関係がわからない」という声がよく聞かれますが,あの冒頭の衝撃シーンには,もしや吾朗氏の特殊な思いが込められているのではと想像したりしてしまいます。

監督からのメッセージ。キャッチコピーは「見えぬものこそ」? ちょっとわかりません。作品からうかがい知れる,「吾朗氏が観客に伝えたかったこと」は,あなたのブログ(監督日誌)を精読しないとなんとも言えませんが,まあいくつか思い浮かぶのは「命の大切さ」「生きることのすばらしさ」「親子の情愛」くらいです。ありきたりではないでしょうか? ジブリにしては貧弱な気がします。『ハウル』においては軍人の愚劣さを描き,愛国主義の危険さを説き,国家間の争いごとの愚かしさを,さまざまなシーンとセリフに織り交ぜていましたが,本作にはそうした工夫が少なすぎではないでしょうか。ヤギの親子にテナーが涙ぐむシーンはとてもよかったけれど。

ひとことでいうなら,吾朗氏はまだ未熟だということにつきます。言いたいことはたくさんあるのですが,これくらいにしておきましょう。いろいろ批判を書き連ねたけれど,「ジブリにしては」消化不良なのであって,駄作が蔓延する邦画界において評価をくだすなら,満足のいく映画であったことは確かです。監督第一回作品としては冒頭に書いたように合格点を差し上げたいと思っています。

では次回作に期待を抱きつつ,これにて筆を置きます。

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It is not my book.
It is your film.
It is a good film.

おまけ。↑は原作者のル=グウィンさんが本作を観た感想なんだそうです。なんて意味?