初詣へ
おふくろ連れてひさびさに初詣。Y市の神明神社へ行ってきた。
実は私、初詣はめったに行かない。よほど気が向いたときだけ。もともと神社というのは好きじゃないのだ。
坂上田村麻呂が蝦夷“平定”のあかつきに建立された○○神社――などと伝承される大小さまざまな神社が、東北には腐るほどあるのだ。
蝦夷“平定”の名において、わが遠い祖先は渡来大和人に、ことごとく蹂躙された。蝦夷が降伏すると、ドジンどもが二度と反乱をくわだてない祈念にと、鳥居を建て、お社を築き、神社を建立した。
それまで蝦夷ら縄文人は、アラハバキ神など土着の信仰を長く続けてきたが、すべて朝廷軍に破壊された。
東北における神社の歴史はせいぜい1200年だが、縄文人の信仰は数万年はつづいたとされる。平和を保ち、争いごとを避け、自然・事象あらゆる森羅万象をつかさどり、人々のこころの拠り所として、神社とアラハバキ、どちらが“ご利益”があるか明々白々なのだが、いまや東北人はほぼ百%、神社をありがたがっている。
日ユ同祖論の根拠にもあげられるように、神社はユダヤ教のパクリとも言われる。渡来人が持ってきたのだから当然であろう。そんな外国の信仰の亜流を、日本神道などとして、大多数のニッポン人は日本特有の宗教と勘違いしているのだ。
前置きが長くなった。
まあ、だからといって神社を否定するのも野暮だし、1200年もつづいた信仰を伝統として認めないわけにもいくまい。
土着の信仰をぶち壊されたわが祖先・蝦夷の無念はそっと胸にしまいこみ、お参りにくる人たちに交じって鳥居をくぐった。
お賽銭は奮発して500円。高校生バイトらしい巫女さんから幸先矢を買い、おみくじを引く。
小吉……。
中身は……いや、びっくりするほど正鵠を射ている(笑。
アップロードしようかと思ったが面倒。そのうちあげます。