泥湯温泉へ

泥湯の一角にたたずむ慰霊碑


 紅葉の名所は県内に数あれど、あまり知られていない隠れた名所を探しだし、めぐるのも、秋田に住む者の特権であろうか。

 とはいっても泥湯温泉は藩政時代からつづく湯治場で、温泉好きなら一度は訪れる秘湯。4件ばかりの旅篭が、せまい盆地に肩を寄せ合うように並ぶ光景は、戦前からほとんど変わっていない。

 泥湯にも、かつては小学校の分校がおかれていた。へき地五級という県内でも数例しかない辺境の地。分校はかなり前に閉じられたが、子どもはいなくなっても温泉街は健在だ。秋田県南部の秘湯を代表する温泉へ、ひさしぶりに行ってみた。

 硫黄の香りは以前と変わらないが、6月の地震で現地へ行く道路のあちこちが傷んでいた。残念だったのは、栗駒国定公園の一角を占める木地山高原にまで、送電線の鉄塔や携帯電話の基地局鉄塔が建っていたこと。こんな山奥まで…。

 それとともに残念なのは、かつての原生林を伐採したあとのスギ植林地の惨状だ。例によってそのまま、植えっぱなし。秋田山間部の11月初旬は、全山燃え上がる見事な紅葉が展開するのだけれど、林野庁の拡大人工造林政策により、秋田の森はことごとく破壊されてしまい、ブナやミズナラの原生林は、多くがスギ・カラマツに塗り替えられてしまった。

 ここ湯沢市の泥湯温泉周辺も例外ではない。いや、人が行き来できるということは、林業も容易ということ。伐採しやすいところは片っ端から伐られてしまったのである。

 森の半分は真っ赤に色づく広葉樹で、半分は黒々としたスギの森。色白素肌の秋田美人の顔を、アバタ状態にしてからコールタールを塗りたくったような光景なのである。

 それでも、スギを植えた側は、誇りを持って仕事をしたにちがいない。「秋田の森にブナなど似合わない、スギとカラマツで真っ黒にしてやる」とばかりに。

 これをブナに植え替えることも可能なのだろうが、だれもその声をあげないし、実行する気配もない。やるとしても原生林を復活させるには100年単位の年月を要するから無理もないが、それでもやるべきだと思う。

 たぶん4年ぶりくらいに泥湯温泉へ。さすがにここでは紅葉の盛りは過ぎており、温泉街は閑散としていて、雪囲いの準備をしていた。

 もともと旅人や湯治客相手の旅篭だったところ。せまい道も古くから変わらぬ温泉街らしさのひとつだったのが、数年前に広い道路が、温泉街の脇に完成した。

 さして長い道ではなく、100メートルもないと思うが、国定公園内の道路を拡幅するのはどうかと思う。でも緊急車輌が通ることもあろうし、渋滞の緩和を目的とするならやむをえまい。

 ただ、どうせ道路を敷くのなら、なぜ電信柱を地中化しなかったのか。

 なんだこれ、古いコンクリート電柱のすぐ隣に、真新しいこげ茶色の電柱が立ってる。2本並んで。

 おそらく、古い電柱は撤去する予定なのだろう。となれば、このこげ茶電柱を、恒久的に泥湯温泉に据え付けておこうということか。つまり電信柱の地中化は、金輪際やらないってことね。栗駒国定公園にあり、全国的にも有名な秘湯、ブナ原生林に囲まれた、昔と変わらない姿を保っている泥湯温泉街から、邪魔な電信柱は絶対に、取り除かないってことね。

 市街地の目抜き通りの電柱を埋設し、すっきりさせる取り組みは地方都市でも普及しているし、ここ湯沢市でも行われたが、やはり市街地だけなのであろう。同じ栗駒国定公園にある東成瀬村須川温泉周辺は、十数年前に国道が整備されたのに合わせ、電線をすべて地中化した、つまり前例があるのだが、あんなのとは関係ないらしい。

 いい天気だった。まだ残る紅葉の色づきに、青空が映えていた。しかし、それをクモの巣のように汚す電線――。

 ここは栗駒国定公園・泥湯温泉。景観もなにもあったもんじゃない。

 帰ってから市役所に聞いてみた。「泥湯温泉の電信柱を地中化する予定がありますか?」

 「ないですねえ」(商工観光課)

 そうですか。

 温泉街の一角に、真新しい石碑が建っていた。

 3年前の暮れに、ここ泥湯温泉に来ていた一家のうち、子ども3人と父親が事故でなくなる悲しい出来事があった。その慰霊碑だった。きれいなお花がたくさん供えられていた。

 表の下には4人のイラストが、名前とともに刻まれていた。

 幼い子どもが描いた、笑顔のイラストが。

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 以上は今月上旬に書いた日記です。事情があって掲載を見合わせていたが、解禁しました。