映画『蟹工船』観てきた
こないだ読んだばかりの小林多喜二作『蟹工船』の映画が、盛岡で臨時上映されていると聞きつけた。監督・主演が山村聡で1953年作という。半世紀以上前の古ぼけた映画が、いまごろ田舎で上映される理由は説明するまでもあるまい。こんなチャンスはそうそうあるものではないので、出張の機会をとらえて観にいかない手はない。
なにせCGもない、特撮技術もろくに備えていない時代だから、おそらく臨場感は期待できないと思ったら、意外なくらいリアルな画面の連続であった。いやリアルもなにも、ホンモノの漁船を借りて実際に蟹漁をして、裁断から加工・缶詰作業のすべてを出演者たちにやらせる懲りよう。中学生くらいの子役から年配の俳優まで、迫真の演技力は、古き時代のシネマの真髄を見せ付けてくれた。
中身をあえて書くと、こまかい部分で改変があるのはいいとして、基本的には原作と同じだったが、ラストの衝撃はぜひ記しておきたい。
原作ではこうだった。
…雑夫や漁夫らはいつしか団結し、横暴の限りをつくす浅川監督に反旗ののろしをあげる。しかし浅川と通じた駆逐艦がやってきて、運動の首謀者が連行されていく――。
(9月17日拙日記)
これが映画では、駆逐艦から派遣されてきた日本海軍兵士らによって、首謀者がことごとく銃殺されるのである。
なるほど。映画づくりにたずさわった監督以下スタッフは、日本軍が日本国民を護る存在ではないということを伝えたかったのだろう。日中・太平洋戦争を生き抜いてきた世代がつくったのだから、間違いあるまい。日本軍が護るのは国民ではなく、国家であり国体であり、財閥系大資本家であって、不満を漏らすような末端労働者ごときは掃討・殲滅の対象でしかない、責任者を銃殺して見せしめにし、反乱分子を弾圧して抑えつける、これが誇り高き、わが旧日本皇軍のやり方であることを、当時の映画人は示したのだ。
旧日本軍を知る人が旧日本軍を描くと、こうなるというよい見本であろうが、仮に映画『蟹工船』がリメイクされたら、とてもこのような結末はありえまい。
そのような意味でもきわめて秀作である。これがもし原作もこうだったら、確実に発禁となっていただろう。いやオリジナルも発禁処分となったそうだが。
出演した俳優はほとんどが鬼籍にはいられた。知っている俳優もほとんどいなかったが、唯一、花澤徳衛の名前があり、本作でコメディ風のほんわかとした役割で味を出していた。
映画『蟹工船』は盛岡の映画館通りにあるルミエールで上映中。10月3日まで。DVDを紹介しておきます。
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