「平泉」世界遺産ならず

 秋田にもゆかりのある藤原清衡の興した平泉の世界遺産登録が、いよいよ決定かとだれもが気をもんだ今朝、さんざん待たされたあげくカナダから届いた報せは、見事に期待を裏切る悲しいものでした。地元紙『岩手日報』記事を貼り付けます。

平泉、登録延期に 世界遺産委が決議

 カナダのケベックで開催されている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第32回世界遺産委員会は6日(現地時間)、「平泉の文化遺産」について世界遺産の「登録延期」を決議した。国際記念物遺跡会議(イコモス)の「登録延期」勧告を受け、日本政府は巻き返しを図ったが、評価は覆らなかった。日本の推薦遺産としては初めて「登録」を逃したが、推薦書を再提出し、再度「登録」を目指す。

 世界遺産委員会の新規登録物件の審査は、6日(現地時間)から2日間にわたってケベックシティ・コンベンションセンターで行われ、「平泉」を含む42件の登録の可否を審査。

 審議は非公開で、イコモスが「登録延期」勧告の理由などを説明した後、委員国21カ国(議長国・カナダ)が登録の可否を協議。宮舘寿喜副知事ら県、地元3市町関係者が審議を見守った。

 協議の末、4段階評価のうち3番目にあたる「登録延期」で結審。より綿密な調査や推薦書の本質的な改定を求められた。世界遺産は近年、保全管理面から新規登録を抑制する傾向にあり、登録へのハードルが高くなっていることも厳しい評価につながったとみられる。

 日本政府は引き続き「登録」を目指し、推薦書の作り直しに入る。ユネスコに推薦書を再提出した後、イコモスの審査を再度受ける必要があり、再審査は早くて2年後となる。

 「平泉の文化遺産」は2001年、世界遺産暫定リストに登載。06年、「平泉―浄土思想を基調とする文化的景観」の名称で、日本政府がユネスコ世界遺産センターに推薦書を提出した。

 5月、推薦書や現地調査を基に、イコモスが「登録延期」を勧告。浄土思想の世界的意義や構成資産との関連性などについて「証明不十分」と指摘していた。

 関係者は、昨年同様の勧告を受けながら「逆転登録」を果たした石見銀山遺跡(島根県)を教訓に巻き返しを図っていた。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20080707_4

 記事のニュアンスからして、登録延期はおおむね予想された結果という印象を受けます。イコモスの勧告が厳しいものだったことを踏まえ、関係者は登録をあきらめず、あらゆる手法を駆使して根回しを進め、逆転登録を目指したものの、昨年の石見銀山と同じ朗報には至らなかったようです。

 ここで原点に立ち返って考えてみます。平泉は果たして、世界文化遺産にふさわしいでしょうか。

 結論から言えばふさわしいと、私は自信を持って言えます。でも、万人をして「ふさわしい」と思わせるモノであると言えるか、その自信は、ありません。個人的には世界遺産にふさわしいと思うけど、ほかの人がどう思うかはわからない。

 それはなぜか。見た目がしょぼいからです。

 イコモスの勧告は、ごくごく簡単に言えば「浄土思想がわかりにくい」というもの。関係者は誠心誠意、最善をつくして「浄土思想」を説明し、平泉の精神を訴え、世界遺産登録を働きかけましたが、これは逆にいえば、浄土思想というのは、よほど力をこめて丁寧に噛み砕いて説明しないと、普通の人にはわかりにくいシロモノだということにほかならないのです。

 それでも関係者はがんばって浄土思想を説明しました。説明を受けた側は、清衡の精神を理解して、その内容が世界遺産にふわさしいものだと思ってはくれたかもしれません。でも実態はどうかと言えば――かねてから指摘したとおり(ことし5月24日の日記など)のお粗末さ。「浄土思想はわかった。だが、それと現状がどう結びつくのか」というイコモスの勧告は、つまり「見た目」の問題です。いかに浄土思想がすばらしくても、その精神がユネスコ憲章に通じていても、現状の建築物・史跡遺跡・景観がこれと合致せず、住民の意識もついていっていないようでは、世界遺産として認めることはできないということなのでしょう。

 予想されたとはいえ、残念な結果になりました。平泉町当局と岩手県関係者にはお疲れ様でしたとねぎらいつつ、2年後に向けて、今度こそ、平泉が、だれもが胸を張って世界遺産の価値ありといえるような街づくりにつとめ、住民の意識改革を本腰入れて取り組むよう、仕切りなおしていただきたいと思います。
 (たぶんつづく)