『ミヨリの森』原作を読んでみた

 フジ系列のアニメーション『ミヨリの森』について、作者の小田ひで次は、調べたら岩手県出身であった。私とおなじ東北だったとは。しかしアニメの舞台はあきらかに岐阜の白川郷。東北人が自然豊かな山村を描くのに、岐阜を舞台にするのはちょっと変だとも感じた。

 そんないくつか浮かんだ疑問点を検証したくなり、原作本を取り寄せることにした。ミステリー・ボニョータ連載『ミヨリの森』(秋田書店)は、地元の書店(TSUTAYA)になかったのでアマゾンで購入した(秋田書店は、社会派の漫画を出版することが少なくない)。

 では原作を読む。

 アニメとオリジナルとはけっこうストーリーに隔たりがあった。ミヨリの東京の友だちや、母親の愛人など、アニメでは描かれていない人物が、原作ではむしろ核になっていた。ミヨリがいじめにあっていたことや、両親が離婚寸前になった原因など、ミヨリの東京でのエピソードについて、アニメはほとんど触れていない。

 アニメでは、ミヨリが越してきた田舎にて、ありのままの自然の中で、精霊たちとの交流や子どもだけでダム反対に立ち上がるといった、いうなれば牧歌的な展開を軸にし、子どもから年配まで楽しめる内容となっていたのであった。

 検証したいことは登場人物(?)名のことも。精霊たちの名前である。ボクリコ・ネゴリザ・カノコ・ソゲリ・モグリ・ワシラシ・ナギザリなどなどの名前はどこから拾ってきたのかなと。岩手出身ならアイヌ語をヒントに考案したのかと推測して調べてみたけれど、私の調べ方がよくないのか、該当するアイヌ語は見つけられなかった。「カノコ」はキノコのカノカからかな? 「ワシラシ」は座敷わらしとか、そんなテキトーな名づけかな? だれか知ってたら教えてほしい。

 原作でもっとも知りたかったのは、先の日記でも書いたこと。ミヨリが女の亡霊にダム水没の光景を見せられる場面だ。そんな場面は原作にはなかった。やはりあれはアニメだけのシーンだった。

 アニメの村人の言葉は岐阜の方言になっていたようだが、原作は東北訛りが主体。これはそうだろう。合掌造りの家々もアニメだけの設定。いまでは東北でさえ萱葺き屋根はめったに拝めない。問題のダムも「徳山ダム」がモデルというわけではないようだ。あれは旧徳山村が合掌造りの村であったからこその設定なのだろう。

 小田ひで次は、ブログも書いてあったけれど寡作らしい。寡作作家は人気作家と違い、花開いてはすぐ散り果てるような駄作品を量産しない。人気とり目当ての編集者や、エロ好みで薄っぺらな感動だけを望む軽薄読者に迎合することなく、自分のスタイルを堅持するから、広く末永く読み継がれる名作・秀作を生みやすい。小田もそうしたひとりであろう。『ミヨリの森』は原作本も名作だった。小田は今後も自分のスタイルを守って、『ミヨリの森』を超えるような作品を描いてほしい。

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