ハリポタとコクリコ

 7月と8月、狙ってた夏映画(『ハリー・ポッターと死の秘宝PART2』と『コクリコ坂から』)を観てきたので、感想書いておきますね。

 まずハリポタから(ネタバレ注意)。7月21日に行ってきた。田舎のシネコンだし平日なのでガラガラ。

 原作(和訳)読んでたので展開は知ってたけど、スネイプの死だけは原作からかなり改変されたと聞いたので、それだけが楽しみだった。

 んでも原作と大差なし。あれ、こんなもんなの? て感じでした。

 ハリポタシリーズは1からみてたし、原作も通して読んでた。最終作は前後篇に分かれたってのはいいけど、やっぱ端折ってた。

 ラストに近い、ホグワーツの闘いでは、ホラスやキングズリーやアバーフォースら、百戦錬磨の闘いぶりが楽しみだったのに、わずかしか活躍シーンがなかった。モリーとベラトリックスの一騎打ちくらいしか見どころなし(短かったけど)。マクコナガルvs.スネイプもちょっとよかったかな。

 やっぱ児童書なんだねえ。童話に毛が生えた程度のね。

 んで俺様とハリーの決戦、すべての生徒・教師・死喰い人らの前でハリーが打ち勝つはずだったのに、二人の決戦はどこぞの廃墟で二人きり。

 なんじゃこりゃあ。

 まあ見ごたえはあったかもね。でもリピはしない。ハリポタでリピーターなんてしたことないけど。

 まあまあの締め方でした。

 * * *

 んで8月29日、ジブリ最新作『コクリコ坂から』を観たので、こちらは長めの感想でも。

 企画は宮崎駿で、脚本も宮崎駿が丹羽圭子とともに名を連ねていますが、監督はあの宮崎吾朗。ハヤオ監督の子息です。

 ジブリ最強の駄作にして失敗作『ゲド戦記』をつくり、その勇名をはせた御仁の再登場であるからして、どれだけマトモになったか、期待をこめてシネマに行きました。

 ちなみにゲド戦記のとき、わたしは当ブログで酷評をかましています。長いので省略しますが、音楽や設定やキャラなど、個別の点で悪評を書いたあと、こんなふうに総括しました。

 「ひとことでいうなら,吾朗氏はまだ未熟だということにつきます。言いたいことはたくさんあるのですが,これくらいにしておきましょう。いろいろ批判を書き連ねたけれど,『ジブリにしては』消化不良なのであって,駄作が蔓延する邦画界において評価をくだすなら,満足のいく映画であったことは確かです。監督第一回作品としては冒頭に書いたように合格点を差し上げたいと思っています。」

 ……しかしいま「ゲド戦記」を思い出して振り返ってみるなら、あれはまさしく超駄作だったなと、あらためて思いました。ジブリの名を汚す作品でしかない。よくもあんな駄作を引っ提げて、臆面もなく公開に踏み切ったものだと。

 そんなケチがついた吾朗氏、汚名挽回となるか、さて『コクリコ坂』はいかに?

 いや、おどろいた。秀作でした。

 前作で露見した吾朗氏の世間知らず・勘違い・思い込みの3点セットが、すべてとは言えないにしても、見事に解消されていたのです。

 鑑賞後の余韻にあれだけ浸れるとは思ってもいなかった。脚本に恵まれたにせよ。

 いくつか個別の感想。まず音楽。久石譲氏ほどの絶妙さはなく、さして瞠目すべきところはなかったけれど、物語との調和は見事なものでした。ってか前作で起用した寺嶋民哉はもうお払い箱ですか(笑。

 キャラ。どれも個性を現していてよかったと思うです。

 設定。時代は1963年ですか。これもいいと思います。高度経済成長期の真っただ中、当時の高校生が何を考え、どんな未来を思い描いていたか、いまの若者たちが失って久しいパワーやエネルギーを描く試み、それも学生運動という政治がからみそうなテーマは(しかもアニメで)、いまの時代、敬遠されるものですが、そんな壁を打ち破るのはジブリでないと不可能でしょう。

 作画。いやあ、韓国人スタッフを起用したにもかかわらず手抜きだらけだった『ゲド戦記』との大きな違いはこれでしょうか。よく描いたものです。

 演出。作画のち密さからして、そうとうにこだわり抜いた労苦が結実したとみました。キャラよりも背景をしっかり描くことで、すばらしい物語が熟成されたようです。

 ひとつ批判も。ジブリお馴染みの野鳥の声で気になったこと。舞台がどの港町なのかわかりませんけれど、海沿いならイソヒヨドリの声を織り交ぜて欲しかったです。朝方はシジュウカラが鳴いてましたが、あれは警戒音です。外敵に襲われているシジュウカラの叫びは、朝の始まりとしてはふさわしくないですね。

 感想としてそんなとこでしょうか。宮崎吾朗氏は見事にアニメ監督となりました。先に書きましたが脚本が父親、という条件下にならざるをえませんが。次回作こそは父親の援護を遠慮してもらい、本当の「自分の作品」を創ってほしいと思います。